2016-11-08 19:01 | カテゴリ:未分類

文京区役所があるシビックセンターで宮沢賢治高村光太郎の展示会が開かれている。

会期:平成28116日(日曜日)から1114日(月曜日)まで

        午前10時~午後6時(最終日は午後5時まで)

会場:文京シビックセンター1階アートサロン(文京区春日11621)

入場料:無料(どなたでもご自由にご覧になれます。)

主催:文京区

      

この展示ではこの二人は居住地花巻では実際の交流はなかったが、文芸上では最後に以下の二つの詩で合体するというストーリーが組まれている。高村光太郎の妻の千恵子の死を、死後数年後に回想して光太郎が詠んだ詩「レモン哀歌」が、宮沢賢治が妹トシの死を前にして詠んだ詩「永訣の朝」の影響を強く受けているという解釈である。
    
  このことは今では文芸史上通説なのかも知れないが、小生はそういう発想ができていなかったので「なるほど!」といたく感心した。
 
  賢治の詩「永訣の朝」の直筆のコピーと、光太郎の詩「レモン哀歌」の直筆原稿が展示されている。特に後者の独特のペン字の肉筆が小生には非常に魅力的で印象深かった。蛇足ですが2人の詩を以下に転載しておきます。「ゆき」と「レモン」の箇所を赤字で示しました。


             

永訣の朝 (宮澤賢治)
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
Ora Orade Shitori egumo
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆき
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

    
     

レモン哀歌(高村光太郎)
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモン
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

    

     

(森敏)

付記:半ば冗談だが、上記の両者の詩を小生が病理学的に解釈すると以下のようになる。
   
   

  詩から考察するに、死の寸前まで炎症性の熱を持つ賢治の妹トシは、つめたいものを要求する「氷食症」で、これは慢性鉄欠乏性貧血の症状であり、トシは慢性的に栄養欠乏であったと思われる。ほとんど野菜ばかり食べて肉由来の吸収のいい「ヘム鉄」を摂取していなかったのではないか? 熱心な仏教徒である賢治も菜食主義だったので、その後、彼も栄養欠乏、おそらく慢性的な鉄欠乏で結核で若死している。
  
   

  一方、光太郎の妻千恵子は死の寸前は「ビタミンC欠乏」だったのではないか。酸っぱいレモンを丸ごとかじるときは体がビタミンCを要求しているから、レモンがむしろ甘く感じるのである。小生も時々紅茶に入れる薄切りレモンを生かじりすることがあるのでよくわかる。最近は国産(瀬戸田)の天然のレモン汁を瓶ごと買ってきて、それをお湯で薄めてそのまま痛飲している。
        
   偶然だが、小生はずっと鉄欠乏性貧血症なので鉄剤(フェロミア)とビタミンC錠剤を時々同時摂取している。ビタミンCが鉄の腸管吸収を良くするという世界の鉄栄養学会の定説を信じているからである。だから二人の詩を読んで「トシ」と「智恵子」の病理に気がついた。たぶんこの推察は正しいと思う。とにかく少し前までの日本の庶民はほとんどが何らかの栄養欠乏症だったから、病原菌に対する抵抗力が弱く、結核などの感染症にかかって早死にしたので、日本国民の平均年齢が低かったのだから。

      
秘密

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