2015-07-28 07:31 | カテゴリ:未分類

以前にもこのWINEPブログでも紹介した飯舘村のキャンプ場である「あいの沢」は、今、除染のまっ最中であるが、林内の空間線量はまだ毎時数マイクロシーベルト前後の所がある。つらつら見て回ると、果実が最盛期を過ぎた1本の梅の木に、小さな梅の果実が熟していた。よく見ると、下図のようにかたちが変だ。双子と、三つ子の実があった。もう少し以前に来ていたらもっと多くの奇形が発見されていたかも知れない。すでに多くの果実が落下していた。
 

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梅の実。 左下:3頭の奇形果。左上と右下:2頭の奇形果(おしりの部分でくっついている)。右上:正常果。(車のボンネットの上に載せて撮影)

 

 

タンポポやアザミやヒマワリ(ひまわると命名されている)やイチゴで頭が合体したものが観察されていることは紹介した。最近読者からは3頭合体のネコジャラシや双頭のアガパンサスなどの写真が送られてきた。

    

これらの奇形が放射線によるものかどうかは、もっと症例を集めなければならないが、読者でウメでこういうのを見たことがあるかどうか、ご連絡頂ければありがたい。放射能汚染地帯ではまだまだ未知の動植物の奇形が見つかる可能性がある。その気で見なければ何も見えない。ましてや猛暑の炎天下では朦朧として見れども見えずである。
 
 (森敏)

2015-07-24 22:23 | カテゴリ:未分類
   飯舘村比曽地区には広大な放射能汚染土壌の仮置き場が形成されつつある(図1)。側面にかけられていたはしごを上がって上から見てみると、実に壮観で、とても一枚のカメラの視野には納まらない(図2)。まさに現代版「賽の河原」を地で行っている。

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図1.仮置き場の側面図(黒い一袋が1立方メートルを5段に積み上げている)
 


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図2.汚染土壌仮置き場の上からの眺めの一部。右側にさらに広がっている。

 
  
  一方で川俣町では太陽光パネルが道路脇の傾斜地に壮大な面積で敷き詰められていた(図3)。汚染田畑の除染後、農業をやっても採算が取れないし、若い農家が帰って来る気力が失われつつあるので、太陽光発電や、そのエネルギーを使った植物工場などの試みが行われつつある。いずれも、事業の立ち上げに公的資金の支援がなければとても農家や農協の自力でのこういう新しい試みは不可能である。
  
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図3.太陽光パネル
     
  早くもこの再生可能エネルギーの試みは、下記の記事に見るように、浪江町では東北電力、と言うよりは政府の原発再稼働方針のために頓挫したようだ。が、この川俣町の場合は是非成功させてもらいたいものだ。どれだけの雇用を生み出せているのか知らないが。壮大なる廃墟にならないことを祈りたい。

                   

浪江町の太陽光発電事業白紙に 売電量減、費用増で

 東京電力福島第一原発事故で全町避難している浪江町が「復興まちづくり計画」に盛り込んでいた農地への太陽光発電設備設置事業が白紙になった。22日、二本松市の町役場二本松事務所で開いた町議会全員協議会で馬場有町長が明らかにした。
 町によると、事業は棚塩、請戸両地区の農地計約150ヘクタールの地上約4メートルに太陽光発電パネルを設置し、下部はそのまま農地として活用する計画だった。スパークス・グリーンエナジー&テクノロジー(東京)が事業主体だが、町は地権者への同意取得に協力するなど連携して取り組んでいた。
 売電先の東北電力の買い取り可能量が当初の予定から大幅に減ったことをはじめ、地盤が軟弱で設置費用が予定を上回ることが発覚したため、ス社側が「採算性が見込めない」と判断。町と協議し、事業断念が決まったという。
 借地の同意を得ていた事業予定地の地権者には8月上旬、町と事業者が謝罪した上で経緯を説明する。
 全員協議会で馬場町長は「見通しが甘かった」と非を認め、予定地については町農業再生プログラムに基づいた農地保全などに取り組む考えを示した。議員からは「政策判断のミスだ」「復興計画の見直しをするべき」などと指摘する声が上がった。

2015/07/23 09:00 カテゴリー:福島民報)
   
(森敏)

   

2015-07-21 00:18 | カテゴリ:未分類

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図1.一晩室内暗所放置でU8カップのなかで作成したクモの巣(奧がクモ)。
クモは一体どんな位相空間認識力をもっているのだろうと驚嘆した。
写真が横向きになっていますが、右が上です。上から獲物が入ってくると、途中でトラップされるようになっている。出口がない「クラインの壺」のようにも見える。

   

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図2.図1のクモの巣を作成したと同じ未同定のクモ2匹(2つの触覚がある、脚が長く斑点もようが特徴。尻に2つの突起がある)。

   

    これまでの過去4年間の福島での環境・生物・放射能汚染調査で、昼と夜とでは野外で活動する虫たちは「種」がかなり異なることがわかっている。そこで、今回は夜間に出でてくる魑魅魍魎(ちみもうりょう)の虫たちの採取をねらって、ヘッドライトを持参して1泊二日の調査に出かけた。一日目の昼間の我々の活動は、主として当日の夜間調査のために有望と思われる調査地点の選定に当たるつもりだった。しかし、いつものように、行き当たりばったりの現場調査で、ついつい興が乗ってきて、あれも貴重、これも貴重と気ままに昆虫や植物を採取しているうちに、時間が経って、気温も高くて、疲れてきた。天気予報通りに時々は小雨も降ってきた。なので、「本日は夜の虫たちも活動しないだろう」と勝手に決め込んで、予定の夜間調査は中止した。ヘビ、イノシシ、ウサギも居たことだし、そのまま夜間調査に突入すると事故を起こしそうな気がしたことも中止の理由である。一時帰宅可能区域でも、夜間に事故を起こしたら誰も助けに来てくれないだろう。
             

2日目は、日中は高温多湿で超過酷だった。車のクーラー用のエンジンをかけっぱなしで、30分ごとぐらいに車に戻って休んで水を飲まなければ、熱中症でひっくり返るところだった。しかし同行の若い4名はいたって元気なのが信じられなかった。それだけ小生のからだが確実に年齢相応に(?)環境適応能力を失いつつあることを実感した。頭がもうろうとして物忘れしやすく、シャキッといろいろと現場での決断ができなかった。
      
  今回の調査旅行では、あらかじめ着替えのTシャツを4枚と、麻地の長袖シャツを3枚持っていったのだが、車に戻るたびにこれらに着替え、結局全部使い切った。着替えるとその時はシャツが汗を吸ってすがすがしいのだが、そのとき水分補給も併行して行ったので、車の外に出ると5分もするとまた汗びっしょりになってシャツがべたつくのである。最初はルール通りに生真面目に上下の防護服を着ていたのだが、途中からはこの防護服の上着はさすがに脱いでしまった。
         

昆虫採集が主目的であったのだが、残念ながら小生には植物採集しかできなかった。動くものはアリを捕まえるのも難しかった。同行者は飛翔するオニヤンマやキトンボを捕まえたり、活発に逃げ回るカナヘビをつかまえたり、暑さをものともせず大活躍であった。今回当初われわれはきれいな同心円状の巣を張る「成人ジョロウグモ」の採取をねらったのだが、現地に来てみるとこの時期はこのクモは体がまだ非常に小さかった。そこでやむなく、一見ムラッ気で不規則なクモの巣(図1)を張る癖のある「コモリグモ」らしき一種(図2)を20匹前後採取した。この時期はこのクモが最盛期なのであった。クモの種類によって最盛期が異なることをあらためて確認させられた。過去4年間の福島の調査で少なくとも10種類ぐらいのクモが野外で活動していることがわかっている。だから、今年もこれから毎月一度は採集に福島に出かけなければ、いろいろな小動物や昆虫の「種」の一年間の変遷の実態がわからないのだ、ということを再確認させられた。「そんなこといまさら当たり前のことだろうが、」と生態学者には笑われそうだが。 
                     
(森敏)
付記1: 今回の調査では、2日間を通して31マイクロシーベルトも被曝した。かなりの高線量地帯の林の中にも入ったからである。
付記2:それにしても防護服を着てマスクをして帽子をかぶっての夏の除染作業者達を見て、これは本当に過酷な作業であることが実感された。マスクをしているのでよくわからなかったのだが、作業者の中にはかなりの年配者も多いのではないかと思われた。 だから現場の作業責任者は「急患体制」はもとより、慎重なきめの細かい労務管理をしないと、熱中症の死者が出るかもしれないと強く感じたことである。各所に飯場が設けられているので、きちんとした対策をやっているのだろうとは思うのだが。
追記1:「クラインの壺」に関しては、以下をご参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%BA
追記2:その後このクモは、クモ類図鑑から、たなぐも科コクサグモと同定された。

 


2015-07-17 13:00 | カテゴリ:未分類

    昨晩、退職後14年ぶりに東大農学部教授会の「暑気払い」に参加してきた。これは要するにこの春(331日)に無事東大を退職し、名誉教授の称号を得た人たちの今後のご活躍を祝っての、先輩や現役をまじえての懇親会である。小生の実感からいうと名誉教授資格の審査はやたら厳しいが、名誉教授になっても何のメリットもない。唯一、年に一度のこのような懇親会に出て「ただ飯」を食えるくらいである。それどころか、最近は執拗に毎年大学への寄付金を仰がれる。

   

   20年以上前にはやせていて精悍な助手(現在の呼称は助教)だった人たちがいまは現役の教授であったり、すでに退官されていたりする。現役のみなさんのおなかが出て少し太り気味なのが大いに気になった。メタボ症状ではないだろうか? デスクワークの激増が主な理由のようであった。切れ目のない研究費獲得のための申請書の作成や、学内外での自己や他人の「研究」や「教育」評価書の作成等のための作業で忙殺されているのであろうと推察した。そのために、皆さんあまり自ら「試験管を振る」時間が無くなっているようで「そんなことでいいのだろうか?」と少し心配になった。実験系の研究者は、自分自身による現象の観察が重要で、そこにこそオリジナルな発見の契機があると小生は信じるからである。余計な心配かもしれないが研究テーマが先細って行かないことを心から念じた。

   

退職名誉教授の多くが小生と同じく健康管理に気を付けておられた。そのことは、年齢による日々のどうしようもない体調の現象が、切実な現実問題であるからでもある。毎日の積極的な、歩き、整体師通い、ジム通い、などいろいろと工夫されていた。この「暑気払い」に出てこられていた退職教員たちは全体の5%にも満たないだろうから、むしろ出て来ておられない方々の健康が他人事ながら心配になった。小生もこれまで14年間でてこなかったので、何かといろいろ言われていたことだろうと思った。

   

退職して完全に雑用から解放された某先輩名誉教授が「ガロアの群論」の解法の研究をしていると聞いて、驚愕した。若い時から数学が強かった人は年をとってもなかなか頭が強靭なのだと思った。話が少しそれるが、太田朋子氏(国立遺伝顕名誉教授・東大農学部卒。81歳)が『分子進化のほぼ中立説』で、つい最近クラフォード賞(9000万円)を受賞されたのだが、その理論のご本人による説明が4ページにわたって学士会会報7月号にのっている。またネット動画で授賞式の講演が1時間にわたって放映されている。しかし彼女の説明には一切数式が使われていない。言葉でのみ説明が行われている。でも小生にはチンプンカンプンである。この理論の背景には深遠な数学が使われていることは素人の小生にも匂いを感じられた。実に数学のできる人は長生きするのだなと思う。(ガロアは若気の至りで20歳で決闘で死んだが)。
  
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クラフォード賞で受賞講演する太田朋子国立遺伝研名誉教授(動画からのパクリ)

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小生には理解不能な太田理論 (動画からのパクリ)
 

皮肉にもこの暑気払いの日の716日は安保法案(野党によれば[戦争法案])が強行採決により衆議院を通過した。この日は日本の憲政史上に汚点を残した「立憲政治の崩壊」の日と記されるだろう。安倍内閣は日本国が憲法という体系的な法律に基づく運営を行わない行政府や軍部の暴走を許す国になる道を拓いたかもしれない。並行して行政による一方的な現在進行形の <原発再稼働> の動きが、まさにその暴走の顕著な「表現型」である。

 

名誉教授の某先生は昨日の安保法案通過に反対するために一昨日は国会議事堂のデモに参加したとのことであった。「女性が多いのにびっくりした。しかし若者が少ないのにがっかりした」とのことであった。昨日の昼の衆議院での採決を自宅でテレビで見ながら小生も「ここまで長生きすべきでなかった」と感じた。デモなどに参加すればいっぺんに体調を崩すので行かなかったが、1960年の619日に岸内閣が強行採決した「日米安保条約」自然承認の日の国会議事堂前での徹夜の座り込みが走馬灯のように浮かんできた。白々と夜が明けて来たときの敗北感はいまでも忘れられない。当時、国会周辺に総勢5000人以上いたその東大生や教職員は、今皆さん小生と同じ心境だろうと思う。
    
(森敏)
追記: 学会や退職後の再就職で中国に出かける人も多くなった。彼らの中国に対する印象は、様々である。共通していることは「日本の10倍の人口であるので、急速に世界水準に学問レベルが挙がってきており、部分的にはすでに日本を凌駕している」というものである。台湾や香港のように、「100年後にはいずれ日本は中国の一省になるか、アメリカの一州になるかの決断を迫られるかも知れない」というのが実は小生の危惧する所なんだが。

2015-07-15 09:38 | カテゴリ:未分類

         中学生のころは六甲山のシダ植物を50種類ばかり採取して押し葉にして、夏休みの理科の宿題として提出したことがある。その時は「牧野植物図鑑」(牧野富太郎 著)が最高の指南書であった。押し葉の標本にラテン語の学名を付すのがなんとなくアカデミックな気分を味わえた。

   

長じて農芸化学科に進学してからは植物栄養肥料学(三井進午教授)研究室では選択的除草剤の研究を石塚皓造助手(現・筑波大学名誉教授)が行っていたので、田畑や大学構内の雑草の名を「日本原色雑草図鑑」(編集 沼田真、吉沢長人、企画日本植物調節剤研究協会) とにらめっこで必死で覚えた。が、記憶力の悪さに我ながら嘆息した。その時覚えた雑草の名前が最近はほとんどすぐには思い起こせない。

    

名古屋大学の植物栄養学教室の教授であった谷田沢道彦先生(故人)は、若いときにイギリスの国立植物園「キュー・ガーデン」に留学しておられて、日本土壌肥料学会などで、エクスカーションでいっしょになると、そこら辺の雑草の名前をラテン名で諳んじており、次から次へとメモに書いて小生に見せるほどの博覧強記であった。分類学者でもないのにこの先生の頭の構造はどうなっているのだろうと驚嘆したものである。先生がロンドンで集められた多くの植物分類学の数十冊の原書は今どうなっているのだろうか。名古屋大学を退官されるときに寄贈先を探すのに苦労されていたのを思い出した。

   

原発の放射能汚染地帯の調査に行くと、植物の採取も行うので、必然的に学名を正確に同定しなくてはならない。ほとんどが通常の雑草や樹木だから、ほとんど同定の間違いは起こらないはずだが、最近は名前がすらすらと出てこなくなった。とくに樹木は持ち帰った葉の形だけとか木の実だけでは分類が難しいので、まだ放射線量測定にもかけず、データが取得できていない。。

    

最近本屋をぶらついていると、以下の文庫本4冊が同じところに平積みで置かれていた。本屋さんの販売戦略だとは思ったのだが、この4冊が日本のわれわれがふだん目にする個々の野草をどのように表現しているのか、素人に一目で分かりやすく描けているかどうか。比較検討してみることにした。いつも寝入りばなに読んだ。

   

新編 百花譜百選 木下杢太郎画/前川誠郎編 岩波文庫

柳宗民の雑草ノート 柳宗民 文/三品隆司 ちくま学芸文庫

シーボルト 日本植物誌 大場秀章監修・解説 ちくま学芸文庫

身近な雑草の愉快な生き方  稲垣栄浄 文/三上修(画)ちくま文庫

      

いずれの本も小生には大変有意義だった。中でも一番わかりやすかったのは木下杢太郎の色刷り写生画で、これが何とも言えず芸術的で、カラーであることもあって草花の同定には一番役に立ちそうであった。絵には戦時下の東大医学部教授であった彼の行動が添え文に淡々と記載されている。太平洋戦争末期に戦況が悲惨になって食糧難に悩まされている中で、よくもこの先生は3-4日もかけて深夜もぶっ通しで一枚の絵を仕上げていたものだ。一種の諦観の境地(どうせこの戦争は負けるのだ)というのか、厭戦気分を感じながら植物の写実に気分を紛らわしていたのだと、添え文を読みながら確信した。鬼気迫るものがある。終戦直後に胃の疾患で亡くなっている。確かな病名はわからないがおそらく癌だろう。いまから30年ほど前に小生は医学部の友人の案内で伊東市にある市立木下杢太郎記念館を訪れたことがある。その時には、展示物を見ながら木下杢太郎は細菌学・文学・絵画をこよなく愛するが、単なる『デイレッタント』ではないのか?としか小生には思えなかったのだが、今回この「百花譜百選」を、寝ながらじっくり読んでいて、当時の己の浅薄さに大いに恥じ入った。

    

  柳宗民の雑草ノート は世界を股にかけて見聞した柳氏の博学さがにじみ出て、うんちくが傾けられており、植物名の起源などについて大いに参考になった。読むのに一番時間がかかった。最も正統派の植物分類の解説書だと思った。学問させられたという印象が強い。だからか?読んでいる途中から、すぐ眠れた。

     

シーボルトの日本植物誌は 小生の知人でもある大場秀章氏の解説によると、描画が当時の西欧流のパターン化した堅い表現になっているので、カラー描画にもかかわらず本物と異なるように見えるものが多く、素人による植物の同定には向かないと思った。ただし、巻末にシーボルト伝として20ページにわたって、小生の全く知らないことが大場氏によって紹介されており、非常におもしろかった。

    

身近な雑草の愉快な生き方 は 稲垣栄浄氏(現静岡大学教授)による、雑草を擬人化した解説書で、なかなか面白おかしく読ませるものである。つい最近まで稲垣氏は東京新聞に連載で<植物の偉大さ>をいろいろと解説してくれていた。此の本はその彼の発想法の延長線上のものであると思う。初版が2011年4月11日(なんと東電福島第一原発事故直後!)であるが、すでに6刷りである。よく売れているようだ。三上修氏による絵が、カラーでない線描画で、ときどき肉眼で見えにくいところを部分拡大で表現されているところがあるので、直ちには植物を同定しにくいところもあるのだが、よくみると、納得がいく。これは牧野植物図鑑もそうであるので、オーソドックスな手法ではあるのだが。

   

  このようにいくら本を読んでも、現地で植物名がなかなか出てこないのに変わりはないのが、実に情けない。
  


(森敏)