2016-05-04 18:08 | カテゴリ:未分類

天気がいいので、3つの展示館をはしごした。

 

最初に新聞社から「ただ券」が手に入ったので、白金にある東京都庭園美術館『メデイチ家の至宝 ルネサンスジュエリーと名画』(4/22から7/5まで。入場料1600円?)に出かけた。ルネサンス期のイタリアで権勢を誇ったメジチ家の宝石の数々を展示してあり、専門家がみれば息を飲むものが大部分だったのだろうが、老眼の小生にはガラス箱の中に入れられている飾り物の宝石の細工が子細に観察できなくて、すごく残念だった。暗い中での凝視は目がとても疲れるので途中であきらめてしまった。外科医が用いる至近距離用のルーペを持ってきている男性がいて、いたく感心した。見学される方は是非30センチぐらい離れてもよく消えるルーペを持参されるとよいと思います。お気の毒に高齢のご婦人たちが大勢で「よくみえないわねー」と苦労しっぱなしで見ておられました。

 

  最後に土産物店があったのでイタリアの香水を片っ端から嗅いで回った。なんと小生には全部が香しく感じられた。疲れていたので一気に気分がすっきりした。そのときはあまり気がのらなかったのだが、10mL1本1000―3000円ぐらいの香水だったので買ってきた方がよかったかもしれないと今頃になって後悔している。

 

次に、気になっていた東京駅北口の東京ステーションギャラリーで開かれている『川端康成コレクション 伝統とモダニズム』(4/23-6/19まで。入場料1000円))にでかけた。川端康成所蔵の100点以上のオリジナルな絵画、墨絵、墨書、焼き物、彫刻などが展示されていた。絵画はほとんど全部小生がこれまで見たことがないモノだったので非常に興味深かった。特に東山魁夷の若いときの絵画14点は彼の若いときにはこんな絵も描いていたんだ!となぜか安堵した。川端康成は出版社を通じて、自分の小説本の装丁や新聞小説の挿画を著名な画家に頼むことから、原作や習作を寄贈してもらったモノのようである。書画骨董以外に、日本の各小説家との書簡が展示されていたのは興味深かった。現物が広げてあった手紙や葉書は老眼鏡で近づいて読めたので、全部読んだ。非常におもしろかった。それにしても、川端康成は作家から来た手紙すべてを丁寧に保管していたのだろうか。封書も手紙もあまり古びておらず恐るべき収集家だと思った。

 

以下についてはすでにどこかで読んだことがあるのだが、かつて太宰治が川端康成に「芥川賞」に推薦してもらいたい由の切々たる3メートルぐらいの勧進帳(巻物)が展示されていた。結局太宰治は芥川賞をもらわずに入水自殺をするのだが、後にこんな実物の巻物が川端康成によって世の中に開示されるなんて、「負け犬を打つてどぶに落とす」川端という男はよほど太宰が嫌いだったんですね。

 

川端康成の年譜を見ると、川端はノーベル文学賞をもらったあと睡眠薬中毒になったりして、72歳でガス自殺しているけれども、もう書く小説ネタがなくなったんではないかと思いました。ヒトの感情の機微などがもう、全部わかっちゃったんでしょうね。しかしあらためて小生はすでにその年を越えてしまっているのに愕然としましたね。研究したいことはいっぱいありますが、資金もなく、体力も続かなくなってきました。「素朴実在論」を地でいくわれわれ農芸化学者は自然現象の発見とその本質の解明というネタには事欠きません。人間のことは何歳になってもさっぱりわかりませんが。

 

つぎに、東京駅の南口を出てすぐ左の日本郵便の高層ビル「KITTE」のなかにある博物館(月曜日休館。無料)に出かけました。これは東大の博物館と郵便局が連携した社会貢献博物館だということです。なかなかすばらしい博物館です(まだ2、3階に二カ所あるうちの2階のワンフロアしかみないうちに締切閉館時間が来てしまったので感想が不十分ですが)。2階の館内は一見雑然としていますが、キュレーターがあちこち気を利かして、見る人におもしろおかしく感じるように展示していることが歴然です。「のみ」や「しらみ」の強拡大写生図、ワニの剥製が高い壁に貼り付けてあったり、古色蒼然たる書籍が高い天井まで届く書庫にぎっしりと詰められていたり、高いところに鳥の剥製があちこち止まっていたり。また医学部の解剖学教室の実物が別室に開示されていたり、様々な人物の銅像があちこちおいていたり。。。。そのあいだを巨大な動物の骨格標本から2-3ミリの小さなムシの標本、世界中の岩石の標本などがうねうねと展示されています。「別に系統立てて見て頂かなくて、興味のあるところを見てください」という展示の仕方には非常に共感を覚えた。勉強させようという展示の仕方でないのがよい。

 

一隅に加藤弘之東大初代総長(かれは旧帝国6大学で構成する日本学士会の創設者でもある)の顔の銅像がさりげなくあったのにはおどろきました。朝倉文夫制作ということです。本当に間近に目を合わせてみてみた。実に迫力満点の像だと思った。かつては東大の法学部かどこかにあったのだろうが、小生の在職中はその所在を知らなかった。いま初めて見た。昔、このWINEPブログでも紹介したのだが、加藤弘之は兵庫県出石郡の出身で、小生は10年ほど前にその生家を中学時代の恩師広井大先生の案内で訪ねたことがある。そのときでもこの家は出石高校かどこかの家庭科の実習に使われているということで、よく手入れがされていた。 展示場にはほかに小生が知らない名前だけがひら仮名で仮に札に書きこまれた教授の銅像などがあっり、まだその人物の履歴が添付されていなかった。歴史から消えかけている教授なんだろうと思ったことである。

    

特別室には今をときめくノーベル物理学賞を得た梶田隆章教授の展示コーナーがあった。ノーベル賞の賞状とメダルのレプリカが飾ってあった。壮大な展示物とともに『ニュートリノは極小の素粒子の世界と極大の宇宙を結ぶ架け橋』という梶田教授の言葉が載っているパンフレットが無料で配られています。

    

東京駅で列車待ちの時間があったら是非このKITTE博物館にお寄りください。現代の流行のあちこちのコンピューターグラフィックの「バーチャルな画像なんかくそ食らえ」という迫力を、地球上に存在してきた実物が深く物語ってくれます。見学者はきっと何かわくわくした知的好奇心を喚起されると思います。小生にとってあらためて詳しくは知らなかったことばかりでした。今後も頻繁に訪れるリピーターになりそうです。何しろタダですから。


    
(森敏)
2016-04-23 11:03 | カテゴリ:未分類

BS1スペシャル「原発事故 5年目の記録」
5
1日(日)午後7時~「(前編)被曝(ばく)の森」
5
1日(日)午後8時~「(後編)無人の町は今」

今年3月放送し、大きな反響を得たNHKスペシャル「被曝(ひばく)の森」の大幅な拡大版。福島第一原発事故によって7万人の住民が避難を強いられ、生じた広大な無人地帯。広さは東京23区の1.5倍に及ぶ。人の姿が消えて5年、いま何が起きているのか―。世界中の科学者たちが調査を続けている。高濃度の放射性物質に汚染された“被曝(ばく)の森”。そこに生きる生物への影響は…?人が消えた町で大繁殖する野生動物。人を恐れぬ新しい世代の生態とは…?“知られざるFUKUSHIMA5年目の記録。前編は放射能影響の謎に迫り、後編は無人の町の今を見つめる。
【語り】礒野祐子

 


去る3月6日に放映されたNHKスペシャルに関しては20人以上の方から、メールと手紙で熱のこもった感想をいただきました。それらを個人情報を伏せて、NHKデイレクターに送りました。

  

今回のBS1スペシャルは、さまざまな視聴者からの意見を取り込んで前編と後編に分けて、前回の二倍量の2時間番組として作成しているようです。

 

小生(森敏)らが登場する部分は前回とあまり変わりばえがしないとのことです。なので、もし『放射線像』に関してさらに詳しいことがお知りになりたい方は、小生が先日文京区の学習会で講演した内容が以下のu-tubeで公開されていますので、お時間のある時にご笑覧ください。ただし全部で2時間半の長丁場です。

文京区アカデミー茗台学習室Aにて 13:25開会
動画(UPLAN提供)
 
    
映像:https://youtu.be/mih1FzATQco?t=30m20s

    

映像(質疑応答)

https://www.youtube.com/watch?v=DA778KBNj9o

  

        

 (森敏)

付記1:よろしければ、以上の情報をお知り合いに拡散してください。
 

 付記2:BS1の前宣伝のために5月1日までWINEPブログを休載いたします。

 

2016-04-18 12:40 | カテゴリ:未分類

        九州には熊本の北西110kmに玄海原発が運転停止しており、南90kmに川内原発が再稼働している。一方北東140kmの対岸の愛媛県には伊方原発が運転停止している。

    

        首相官邸と原子力規制委員会が互いにもたれ合って、稼働中の川内原発を「運転停止しない」ための屁理屈を模索している。首相官邸と原子力規制委員会どちらも今後の連鎖地震で川内原発が暴走したときの「刑事責任」をとりたくないがためである。

 

        熊本地震で熊本から北東に走る活断層沿いの地域の人ばかりでなく九州一円の人心が不安に落入っている。こんなときのリスク管理はまず人心を沈めることではないだろうか。次々と地震が発生している最中にも震源の近隣に稼働中の原発があるということだけでも、人々は不安要因を抱えることになっている。

 

        いつどこでどれくらいの規模の地震が発生するかなどの予知などできない。この点では科学は全く無力であることは今日の常識だ。だから原子力規制委員会がどんなに原発が安心安全といっても今では全く信用できない。

 

        菅直人民主党政権は、過去の自民党政権が営々と築き上げてきた原子力平和利用路線の象徴である福島第一原発が、東日本大震災によってメルトダウンした責任をとらされて退陣を余儀なくされた。なんと「対応がまずかった」という非科学的な理由からである。
      
  今では明きらかになっている、すでにメルトダウンしていた原発を、その後のどんなに対応しても、放射能の広域拡散汚染は防ぎようがなかったにもかかわらず、当時はマスコミが大合唱して、そういう「やいのやいの」の無責任な政権追い落としの俗論が通じたのである。

            

        安倍自民党政権も、今回の想定外の地震対策を誤ると、これが「政権崩壊への引き金」になるかもしれない。川内原発をひとまず停止して政権崩壊への連鎖が起こらないようにこの不安要因をあらかじめ取り除いておくことが必要だろう。これは「政治判断」の問題だから。安倍首相には「頑迷」ではなくそれくらいの「柔軟性」を望みたい。原発稼働自体がつねに想定外の大きなリスク要因であることは論を待たない。
       
  蛇足だが、産油国が増産停止で協調できずに石油価格は今後も低下の一方だから、九州電力も発電力の小さな川内原発を今後数ヶ月停止しても大した損益にはならないだろう。 

 
    
(森敏)
追記:この記事を書いた直後に以下のニュースがあった。(4月18日1時50分)
相変わらずですね。これで3つの原発のどれかに異常が起これば「想定外」といって逃げるんでしょうね。
原子力規制員会の工学的発想しかできない連中は、地域住民を人体実験にさらすつもりなのでしょう。
 

規制委員長「川内原発停止不要」 地震で臨時会合

2016418 1329
 
原子力規制委員会の田中俊一委員長は18日、記者会見し、熊本、大分両県を中心に相次ぐ地震を受け、全国で唯一稼働中の九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)を予防的に停止させる可能性について「安全上の理由ああれば止めなければならないが、今の状況で問題があるとは判断していない」と否定した。

 規制委は同日、臨時会合を開き、九州、中四国地方の4原発に異常がないことを確認。揺れの大きさを示す最大加速度は、九電玄海原発(佐賀県玄海町)の20・3ガルが最も大きく、いずれの原発も原子炉が自動停止する設定値を下回っていたが、地震が続いていることから状況を注視する。

 規制委の情報発信が不十分と批判が出ていることに関し田中委員長は「率直に反省しないといけない」と陳謝した。

 会合では原子力規制庁が、今回活動した布田川・日奈久断層帯に関し、川内1、2号機の新規制基準への適合性審査で、断層の長さ92・7キロ、マグニチュード8・1と想定して地震動を評価したと説明。原発への距離が約90キロと遠く、影響は限定的とした。

 薩摩川内市では14日以降、最大で震度4が観測されたが、原発に伝わった揺れはそれより小さく、九電は安全上影響がないとして発電を継続。政府も「運転を停止する理由はない」(菅義偉官房長官)としている。

 玄海原発、四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)、中国電力島根原発(松江市)は、いずれも運転を停止中。核燃料は使用済み燃料プールに移されており、一連の地震で異常は確認されていない。

(共同)

 

 

2016-04-13 10:29 | カテゴリ:未分類

China Times 


   

 4月10日のThe China Post  (英文中国郵報)という台湾の英字新聞に、われわれの『放射線像」が5枚掲載されました。ヒノキ、はさみ、お賽銭,ネズミ、不明の野生植物、などです。周知のように台湾でも福島の事故を受けて脱原発運動が盛んです。この英字新聞を通して、世界中の華僑や香港の中国人も『放射線像』に注目してくれることを願っています。これを契機に、原発を稼働している韓国や中華人民共和国の新聞にも「放射線像」が掲載されることを期待しています。まだアメリカの新聞からは「放射線像」掲載のオファーが来ないようですが、ねばり強く、呼び掛けています。

          
  このThe China Post の新聞記者は、フォトジャーナリストの加賀谷雅道氏が現在諸外国各地での『放射線像』の展示会で使用している原稿を、「あくまで新聞記事作成の参考のために」と送ったところ、この新聞社はその原稿をまるまる無修正で掲載しています。だから少し内容に奇妙な表現のところがありますが、読者には大意は通じると思います。以下がその本文です。あえて翻訳いたしませんが、あしからず。

  
 
By Masamichi Kagaya
(Photographer) and Dr. Satoshi
Mori (University of Tokyo)
As a consequence of the Great
East Japan Earthquake and ensuing
tsunami on March 11, 2011,
the cores of the first to third nuclear
reactors at the Fukushima Daiichi
Nuclear Plant underwent meltdowns
as external power for the cooling
pumps was lost. As a result, a huge
amount of radioactive particles was
released into the air. These particles
were carried by southeasterly winds
to Iitate Village, Fukushima City, and
Nakadori, a central region of Fukushima
Prefecture, leaving high levels
of radioactive contamination in their
wake. The particles were further
carried along multiple routes creating
radioactively contaminated areas
in regions from Ibaraki to Tokyo and
Kanagawa Prefecture, as well as in
Northern Kanto and the Tohoku Region
(Northeastern Japan).
Whether we are in Tokyo, Fukushima,
or even in front of the
damaged nuclear reactor buildings,
we are exposed to radiation that
we are unaware of. It is too small
to see, it cannot be heard and it is
odorless. Therefore, despite living in
a region contaminated with radioactive
particles, to this day, we are not
consciously aware of the radiation.
NaI (TI) scintillation detectors and
germanium semiconductor detectors
are used to measure the amount of
radioactive contamination in soil,
food, and water in units called Becquerels
(Bq). Radioactivity is further
measured in Sieverts (Sv), which is
an index of the effects of radioactive
levels in the air, doses of exposure,
and so on. Nevertheless, from such
values, it is impossible to know how
the radioactive particles are distributed
or where they are concentrating
in our cities, lakes, forests, and in
living creatures. These values do not
enable us to “see” the radioactivity.
Thus, radioactive contamination has
to be perceived visibly, something
that can be done with the cooperation
of Satoshi Mori, Professor
emeritus at Tokyo University. Professor
Mori is using autoradiography
to make radioactive contamination
visible.


Today, dozens of radiographic
images of plants created by Professor
emeritus Mori since 2011 are on
display together with radiographic
images of everyday items and animals.
This collection of radiographic
images (autoradiographs) is the first
in history to be created for objects
exposed to radiation resulting from a
nuclear accident. I hope that visitors
will come away with a sense of the
extent of contamination in all regions
subject to the fallout — not just those
in and around Fukushima. At the
same time, I hope that this exhibition
will remind visitors of the large
region extending from the Fukushima
Daiichi Nuclear Power Plant to
Namie Town, Iitate Village and the
dense forests of the Abukuma Mountain
Area that, to this day, remain restricted areas. The radiation affects
animals that continue to live in
these areas and be exposed to heavy
radiation, as well as the 140,000
people that had to evacuate and who
lost personal assets (homes, property,
work, interpersonal relationships).
These people are in addition
to the victims who directly breathed
in the radioactive materials, subjecting
them to internal exposure —
victims that include anyone from the
residents near the plant to people in
Tokyo and the Kanto Region.


Although what can be done is
limited, new progress has made it
possible to record the otherwise invisible
radioactivity and make it visible.
The history of needless nuclear
accidents occurring in the United
States, the Soviet Union (Russia) and
Japan over the last several decades
may still potentially be repeated elsewhere
in the world, but hopefully
future generations will see the cycle
be broken. Through exhibitions and
other means of disseminating knowledge
about radioactivity, future generations
may learn to leave behind
dependence on nuclear power and
be free from the dangers of nuclear
accidents and nuclear waste.


Image Explanation
The radiographic images were
created by a method called “autoradiography.”
Major universities
and research facilities in Japan
and throughout the world have
autoradiography equipment, which
is commonly used in biological,
biochemical, and microbiological
research to quickly view, with high
sensitivity, the distribution of radioactive
substances in a sample.
These images are frequently used
in research papers and in conference
presentations. The radiationsensitive
imaging plate developed
in 1987 by Fuji Film Industries and
Kasei Optics is approximately 100
to 1000 times more sensitive than
x-ray film.


The imaging process involves
placing a radioactive sample on the
imaging plate for a given period, after
which the imaging plate is read
by a device called a BAS. The contrast
of the read image is carefully
adjusted, whereby the distribution
of radioactive substances gradually
becomes apparent. Radiation emitted
by radioactive particles appears
as black areas in the radiographic
image. The darker the area is, the
stronger the radioactive contamination
is. An autoradiographic image
exhibits the same phenomenon as
an x-ray image taken at a hospital,
where bones, which block radiation,
appear white and portions through
which the radiation passes without
being blocked appear black.


When viewing a radiographic image,
one point to keep in mind is that
since each image is individually adjusted
for contrast, the images cannot
be compared with one another
to determine which indicates greater
contamination. In this exhibition,
records concerning specimens indicate
β radiation levels in both “cpm”
measured using a survey meter in
the sampling of each specimen, and
in “becquerels” (Bq/kg) measured
using a gerimanium semiconductor
detector. These values express the
degree of contamination of the specimens
and therefore, I hope that you
will keep these values in mind while
viewing the images.


For example, an area is determined
to be radioactively contaminated
if the measured cpm value is
twice the usual background level,
in this case, 25 to 40 cpm. Further,
as a reference for measurements
in becquerels, naturally occurring
radioactive potassium K40 is on
the order of 33 Bq/kg for white
rice, 1600 Bq/kg for dried kelp,
and 66 Bq/kg (dry weight, excluding
water content: 165 Bq/kg) for
the human body.

以下は写真の詳細な説明です。
1.2. Black parts dispersed throughout the proximal end of the branch in this set of cypress leaves and cones, found in Iitoi, Iitate Village in 2014, are highly contaminated by fallout from March 2011. The branches that grew from those parts in 2012 exhibit
slight secondary contamination by radioactive particles carried by the wind, while the black hue emitted around the cones that developed in 2013 indicate a remarkable level of contamination. Further, the young leaves that grew in 2014 have higher internal
radioactive contamination than the other leaves. In another cypress, we found that while the leaves and cones had the same level of contamination, the seeds in the cones had one-third the level of contamination, indicating that the radioactive cesium is
being passed onto the next generation.

3. These scissors were found outdoors in Namie Town in June 2013. The rusted blades are six times more contaminated than the coated handles. The microstructures (unevenness) caused by rusting readily store the radioactive particles. The same
phenomenon has occurred on other rusted samples as well. Radiation Level: Blade - 3000 cpm, Handle - 500cpm.

4. This is a comparison of macrophyll from Hiroshima and weed from Namie. The weed, right, came from Namie town in 2015, 10 km from the damaged nuclear plant. The macrophyll, left, is from Hiroshima, 840 kilometers from the plant. Radiation levels
are as follows: the weed reads at 100-150 cpm, while the macrophyll reads 50 cpm (background levels).

5. After the nuclear accident in Fukushima prefecture, empty houses in the restricted area became infested by rats. This rat was caught in a trap in Warabidaira, Iitate Village in 2013. We find radioactive materials on the body surface and contamination
in the muscles of the thigh. Looking at the internal organs, we see a high level of contamination in the kidneys and the gall bladder surrounded by the live. Because Cesium is carried out with urine and the kidneys are the final step in the urinary system,
radioactive cesium accumulates here. Radiation levels for the rat are as follows: Body, Internal organs 100-150cpm, Body 286.5 Bq/kg, Heart 2521 Bq/kg, Liver 4937 Bq/kg, Lungs 3134 Bq/Kg, Stomach and Intestines 6111 Bq/kg, Spleen 4334 Bq/kg, Kidneys
11750 Bq/kg (total Cs-134, Cs-137)

6. These coins, found in Akougi, Namie Town, 25 kilometers from the nuclear plant in October 2014 were offerings in a small roadside shrine. Nearly all the coins were exposed for imaging on the side that was facing upward at the site. The three coins that appear
faintly were exposed on the opposite side. Although scientists expected differences between coins made of differing metals, they did not find that to be the case. The coins were returned to the shrine. Radiation levels read 550 cpm on upside, 210 cpm underside. 

2016-04-10 21:26 | カテゴリ:未分類

業平(なりひら)橋は兵庫県芦屋市の芦屋川に架かる国道2号線の橋の名前である。この橋の名前の由来から小生が小さい時から在原業平(ありはらのなりひら)は1200年前には現在の芦屋市に住んでいたと教えられてきた。精道中学校で国語の佐藤先生からは

   

世の中にたえて桜のなかりせば
   

        春の心はのどけからまし
       

   (在原業平 古今和歌集)

    

という歌を学んだ。この大意は「この世の中に、桜というものがなかったならば、春をのどかな気持ちで過ごせるであろうに」ということのようであった。

         

  この業平橋から上流の芦屋川には現在、両岸に桜の木が植えられていて、桜が満開の4月2日にはその川岸には多くの人たちが浮かれ出ており、左岸の道沿いには屋台が並んで「桜祭り」で人があふれかえっていた。

   

  右岸では耳を裂く大音量でのギター演奏がなされており、それを左岸の人たちが、青いビニールシートを敷いた観客席で、弁当を食べたりビールを飲んだりしながら聴いているのであった。まさにこの日は業平の歌の大意の通りであった。
    

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  恒例の「桜祭り」 の屋台(上)と 演奏会場(両岸)
          

  花崗岩でできた在原業平のこの歌の歌碑は左岸の公園に建てられており、その前では胡弓など古式の演奏会が開かれていた。

 
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  在原業平の歌碑:「世の中にたえて桜のなかりせば。。。。。」
  

  上流の河原では子供たちが水遊びをしてそれを親たちが食事をしながら見守っていた。


 

DSC07943--.jpg

 芦屋川での河原遊び
   

  ということで、昔の小生の記憶には全くなかった「業平(なりひら)大神」なるお宮を探しにいってみた。JR芦屋駅でもらった芦屋市の地図に載っていたからである。ところがそれがなんと民家と民家の隙間にある入口が1.5m幅で奥行10メートルぐらいの面積の小さなお宮さんで、建屋の奥に石造りの祠があるのだが、その中には何が入っているのだか。。。
 
  

   DSC07939--.jpg

    業平大神

      

  1200年前の色男在原業平もこの地ではここまで落ちぶれたのだ。芦屋市にとって彼は余り御利益がなかったのかもしれない。
   

         

  しかし、現在の芦屋市内には、(高浜)「虚子記念文学館」や「谷崎潤一郎記念館」など素晴らしい文学記念館があり、どこかで在原業平の文学の息遣いが残されているように思われる。この逍遥のあと初めて訪れた虚子記念文学館では恒例の俳句の「句会」なるものが開かれており、男女の喧々諤々の談笑がドアの外にも聞こえていた。
      
  今を時めく村上春樹も精道中学校と神戸高校までは芦屋市に在住であったと聞く。今思い出すと、山と海が近い昔の芦屋の自然にはそれとなく文学的な雰囲気が漂っていたのかもしれない。戦前は谷崎潤一郎の「細雪」の舞台にもなったことだし。阪神淡路大震災後は全く様相が一変して、どこを歩いても味気ない機能的な街並みになってしまっているのだが。
    
         

(森敏)