2015-09-04 20:39 | カテゴリ:未分類

世界の食糧生産が大きな危機に直面している。「国際土壌年」と定められた今年、国連は農地の土壌が次々と劣化していると発表した。原因の1つが、土壌に塩分がたまる「塩類集積」。特に世界中の灌漑農地で被害が広がっている。その対策として注目されるのが塩分濃度の強い土壌でも育つ「耐塩性作物」だ。今年、植物が取り込んだ塩分を排除するメカニズムが世界で初めて明らかになった。世界の食糧危機は乗り越えられるのか!?  樋口恭子・東京農大教授、間藤徹・京大教授らの研究紹介です。

 

 

Eテレ サイエンスZERO「食糧危機の切り札!? 耐塩性作物」

96日(日)夜11時半~

再放送 912日(土)昼0時半~

 

詳しくはEテレのウェブサイト

http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp516.html


2015-09-03 11:44 | カテゴリ:未分類

 

ゆえあって長野市の「東山魁夷館」、奈良市の「入江泰吉記念奈良市写真美術館」、金澤市の「鈴木大拙館」を訪れた。

 

これらの館の中身の展示物に関しての印象はさておくとして、最初の東山魁夷館を訪れた時は、静謐な水を湛えた人工的な湖庭の印象が強烈だったので、その後に訪れた入江泰吉記念奈良市写真美術館と、鈴木大拙館での水をたたえた水庭の印象が小生には残念ながら亜流に見えた。

 

調べてみると東山魁夷館と鈴木大拙館は谷口吉正氏の設計によるものであり、入江泰吉記念奈良市写真美術館は黒川紀章氏の設計によるものであった。小生の目には3者はほとんどコンクリート、アルミ鋼板、耐圧ガラス、水などの資材と共に、モチーフも同じ(あえて言葉で語れば「静謐」あるいは「瞑想」)である様に思われた。

 

しかしこれは小生が牽強付会的に三者の類似点を空間から切り取ったからに過ぎない。

 

凡そ美意識というものは徹底的に主観的なものなので(またそうあるべきなので)、あれとこれが似ているからと言っても、それは鑑賞者が深読みして似ている点を挙げつらっているに過ぎない。

 

  小生の常日頃の感覚では、モチーフや様々な技法を含めて現代絵画の99.9%は過去の絵画からの模倣で成り立っている。だから、絵画鑑賞ではその絵の0.1%のオリジナルな点を見出して、その発見の喜びで、満足すべきだと思っている。1000点見れば 0.1%x1000=1 で1枚の独創的な絵を見たことになる。(そんな「量」から「質」への移転化はありえない! という叱責がただちに来そうだが)

 

1956年、小生が中学生の時に芦屋市の浜の公園で「第一回具体展」が開かれた。吉原治良が主導する「アンデパンダン展」と頭で記銘している。先日「軽井沢アートミュージアム」という建物に飛び込んだら、なんとこの流れの作品が展示されていた。日本で始まったこの初期のころからの参加者である7名の抽象絵画が展示されていた。非常に懐かしかった。この時の日本で初の試みから今に至るまで、私見ではあまり日本の抽象絵画は変わっていないなと思う。技法や発想が出尽くしているのではないかと全くの素人ですが僭越ながら思う。

 

デザインと絵画はまた似て非なるものであるかもしれない。近年コンピューターグラフィックという革新的な新しい技法が加わったにしても、みんながどの箇所も過去や現在の誰かの作品と似ていないと思うデザインなんてありえないだろう。日本国民が誰でも同意する象徴的なシンボルは「富士山」と「サクラ」に決まっている。「見ていて気持ちが和む」のがエンブレムのモチーフなのかもしれない。

 

「芸術は破壊だ!」と叫んで、そういう安心や安定の象徴である「山」ばかり書く日本画を「八の字芸術」と揶揄して忌み嫌って海外逃亡したのが抽象絵画の岡本太郎である。しかし大阪万博の時に彼の創造した巨大な「太陽の塔」も当時の違和感はどこえやら、今や「太陽の塔」は人々の胸には郷愁をそそる安心の象徴である。未来永劫にわたって不安を掻きたてる芸術もまたあり得ない。渋谷駅の岡本太郎の長大な壁画『明日の神話』は幸いいまだに小生の胸に風化してはいないが。

 

だから、どんな奇妙奇天烈なエンブレムでも、あえて採用すれば、オリンピックの後、時間の経過とともに人々の心の中で風化して(なじんで)郷愁をそそるエンブレムに生まれ変わることは間違いないだろう。シンボルとして富士山や桜を選ばないことを祈りたい。
       
(森敏)

2015-08-29 18:30 | カテゴリ:未分類

 

旅先のホテルでBSテレビチャンネルを回していたら、坂東玉三郎さん(人間国宝)のロングインタビューに偶然ぶつかった。インタビューアーのアナウンサーが玉三郎に圧倒されて、理解できなくて少しぴんとはずれの対応をしていたのがおかしかった。
      
  あくまで歌舞伎に軸足を置きながら、京劇、沖縄舞踊、ダンス、和太鼓などのあらゆるジャンルに果敢に挑戦してきた意味について、随所に警句を「さらり」と述べる玉三郎には思わず引き込まれた。インタビューを見終って、

       

「伝統を維持するには、絶えず変化し続けなければなりません。少しでも『もうこれでいいや』と思ったらそれ以上発展しません」

     

という玉三郎の言葉が強く印象に残った(正確な言辞は引き写したわけではないので自信がないが)

 

芸術も科学も、個人も組織も同じである。

 

(森敏)

追記1:コメントのやり取りをご覧ください。

追記2:

科学史では様々な偉大な発見の契機はほとんどの場合が偶然です。それはクモが営々として網を張っているときに(研究者なら自己の専門分野での通常科学に営々と励んでいるときに) 突然、餌が飛び込んでくるのに似ています(研究者ならこの時にこそ、「あ、これだ!」という「ひらめき」が走るのです)。しかし、そういう受身の形での生真面目さだけが発見の契機になりうるわけではない。「積極的に研究者自身がほかの研究環境に身を置いて(投企して)、異なる学問体系の分野の人たちと交流し対峙してみる積極的な姿勢も必要です。そうすれば必ずや新しい発想の契機が生まれるでしょう」と、玉三郎の話を私(生物学の研究者)なりに勝手に解釈するとこのようになるのではないかと思いました。


2015-08-26 06:41 | カテゴリ:未分類

(つづきです)  

     さて本日、連載3回目は県中浄化センターと県北浄化センターとで測定された値を使って、平成27年(2015年)直近の過去半年間に放射性セシウム(Cs-137)が脱水汚泥にどの程度濃縮されていたのかを図示します。緑色の折れ線グラフが Cs-137の脱水汚泥1kgあたりの放射能(ベクレル:Bq)を示しています。また、図には同時に降雨量も水色の棒グラフで記してあります。

  

スライド1  
    

  図5 で明らかなように、県中浄化センターでは Cs-137 は通常は100 Bq/kg前後で推移していますが、全期間を通じて50 Bq/kg以下になったことがありません。常時50ベクレル以上に濃縮されているということです。よく見ると、18回にわたって200 Bq/kg以上のピークを示しています。そのうち2回は 390 Bq/kg670 Bq/kgを示しています。降雨量との関係をよく見ると、高い放射能ピークを示す1日前か当日には必ず高い降雨量があることがわかります。
      
   ですから、20113月の原発暴発時点で強く拡散汚染した福島の土壌や植生や家屋に付着した Cs-137 が、降雨によって溶出したり洗い流されたりして、それが下水に流入して、下水処理場で活性汚泥に微生物代謝的に取り込まれて、脱水汚泥に濃縮されて来ていることは明らかです。しかし、6月18日の高いピークは直前の比較的高い雨量から予想される以上の高い値を示しています。もしかしたらこの時期には新しく原発に何らかの異変があり、従来の値に新しい放射能値が加わったのかも知れません。

   
   
 
スライド2 
      

  図6 で明らかなように、県北浄化センターでは Cs-137 は通常は50 Bq/kg前後で推移していますが、下が20 Bq/kg以下に下がったことはありません。常時20 Bq/kg 以上に濃縮されているということです。15回にわたって80 Bq/kg以上のピークを示しています。そのうち2回は140 Bq/kg強の値を示しています。図5 と同様に、この図6 でも降雨量との関係をよく見ると、高い放射能ピークを示す1日前か当日には必ず高い降雨量があることがわかります。
     
      ですから、図5 の場合と同様に、20113月の原発暴発時点で強く拡散汚染した福島の土壌や植生や家屋に付着した Cs-137が、降雨によって溶出したり洗い流されたりして、それが下水に流入して、下水処理場で活性汚泥に微生物代謝的に取り込まれて、脱水汚泥に濃縮されてきていることは明らかです。しかし、また、図6では5月26日には雨量が無いがピークが高い。図5の場合と同じく、6月18日の高いピークは直前の雨量から予想される以上の異常に高い値を示しています。もしかしたらこれらの時期には新しく原発に何らかの異変があり、従来の値に新しい放射能値が加わったのかも知れません。
   
  図5と図6を比較してみると、両者は時期的に極めて類似のピークパターンを示していることがだれの目にも明らかです。平均して県中浄化センターの方が県北浄化センターの2倍の濃度でCs-137が脱水汚泥に濃縮される経過をたどっていることもわかります。原発爆発当初両センターの流域下水道のカバーする地域への総放射性セシウム降下量のあいだに、ざっと2倍の差があったということなのかも知れません。この点はさらなる検討が必要です。
  
(つづく)
                

(森敏) 


 

 
 

2015-08-23 23:57 | カテゴリ:未分類

(承前)

 

先に、2015年の福島県の2つの浄化センターの脱水汚泥に含まれるI-131の推移を示しました。

  

それでは、2011年3月の東電福島第一原発事故以降今日に至るまでの毎日の脱水汚泥中のI-131の推移はどうだったのでしょうか? それを示したのが第3図(県中浄化センター)と第4図(県北浄化センター)です。

スライド1

 

 
 
      

図3に見るように県中浄化センターでは過去の4年間で300Bq/kg 以上のピークを示したのがざっと見て9回、100Bq/kg以上を示したものが24回のピークを示しています。細かいピークを数えるときりがない。それだけ東電福島第一原発からの放出がありそれが西部に流れたということかもしれません。2011年4月18日以前のデータがないのは観測の準備態勢ができていなかったためと思われます。原発事故が起こらなければ、日本国中の誰もが、下水処理場の脱水汚泥の放射能を測るなんてことは露ほども考えてみなかったでしょう。と同時に、大震災で県中浄化センター自体の機能が麻痺していたものと思われます。
 
スライド2


       
         

図4に見るように 県北浄化センターでは過去の4年間で 600Bq/kg 以上のピークを示したのがざっと見て15回、100B/kg以上のピークを示したものが21回あります。細かいピークを数えるときりがない。それだけ東電福島第一原発からの放出がありそれが北西部に流れたということなのかも知れません。2011年4月27日以前のデータがないのは県中浄化センターの場合と同じく、脱水汚泥の放射能観測の準備態勢ができていなかったためと思われます。と同時に大震災で県北センター自体の機能が麻痺していたものと思われます。
      

図3と図4を詳細に比較して見ると2-3日のずれでピークの発生が一致する場合があるけれども、多くの場合ピークが一致しておりません。この事実は、図3と図4の 100Bq/kg 以上のピークを合算した日数である約50回にわたって、東電福島第一原発は2011年4月以来 I-131 を放出していたのではないかという疑念を抱かせます。すでに原発事故以来約1500日以上経過しているなかでの約50回の放出です。つまりメルトダウンした原子炉は平均して1ヶ月に一回はどこかで水蒸気爆発してきたのかもしれません。また、主要な高いピークを比べると、県中浄化センターの値が5月上旬の900 Bq/kgを除くと、県北浄化センターの値の約半分で推移していることが特徴的です。このことが何を意味するのか? については、今は判断を保留したいと思います。

      

両浄化センターともに2011年3月の震災発生から翌月の4月中旬まで、放射能の測定データが得られていません(少なくとも開示されていません)。このことは、返す返すも残念なことです。あの原発事故での膨大な I-131 の陸域への放出拡散量が、巡り巡って流域下水道に流れ込み、汚泥処理場(浄化センター)に流れ込み、その終末産物の脱水汚泥にどれくらい含まれることになったのかなど、爆発初期からの細かな日変動の記録が残っていれば、さまざまな考察ができたのにと悔やまれます。当時の浄化センターの現場の作業員達は「異常に放射能の高い脱水汚泥の発生」という初体験をして、それを法律的にもどう扱うべきか四苦八苦(てんやわんや)していたと報道されていました。結局、焼却して8000Bq/kg以下の濃度の焼却灰や飛灰なら埋め立てに回してもよい、という厚労省が暫定基準をつくって、処置したと思います(この記憶はまちがっているかもしれません)。
 
 なお、日本原子力機構が下記のホームページに2011年3月15日から4月30日までの、メルトダウンした東電福島第一原発からの I-131 の日本全土への飛散シュミレーションを動画で公開しています。
http://nsec.jaea.go.jp/ers/environment/envs/fukushima/animation2-1.htm
4月中旬以降も動画を観察できますが、画像が小さすぎて4月の飛散の方向はあまり判然としません。


 
(続く)

 
(森敏)