2014-11-10 11:52 | カテゴリ:未分類

   現在、飯舘村のあちこちで急ピッチで放射能汚染土壌の除染が行われている。ほとんどすべての民家の敷地から同時並行的に除染に手が付けられているようだ。3年半経ってやっと住民の要望が実現されはじめたようだ。雪が降る前の作業を急いでいるのかも知れない。ゼネコンには復興予算を消化しなければならないプレッシャーもあるのだろう。
   

 DSC04858--.jpg
きれいに除染客土した直後の農地(土壌面水準確認のために各所に指標用の木の棒が立てられている)
  

  民家の周りの土壌を除染しても、この地方独特の屋敷林(いぐね)がある限り、そこからの放射能で民家の室内の空間線量は0.23以下には下がり得ないと思っていたが、この点に関しては、住民は泣く泣く「いぐね」を切り払うことに同意したようだ。切り株の年輪を数えてみるとほとんどのスギが50-80年を経過している。
   

いぐね(屋敷林)の伐採DSC04870-- 
いぐねの伐採中(右側に民家)
   
いぐね伐採あとの客土  

 いぐねの伐採後客土処置
  
  裏山が傾斜地のすぐ下に建てられている家がほとんどであるが、居住区から画一的に20メートルまでしか山は除染しない上に、除染したあとには何の手当もしていないので、雨が降れば斜面の土壌崩壊(エロージョン)が起こることは目に見えているが、それでも強行しているようだ。あとは自己責任か?
 

 手前の道路から20メートル先まで山を除染する

 山の斜面剥離(ふくしま再生の会 菅野宗夫さん宅)
  
  霊山の道路斜面では通常の「のり面工事」でやるようにビニールの被覆資材が施されていたが、私有地の山林にはそのような保安手当は行われていない。所々で勾配の少ない斜面では白い山土を客土しているところがあるようだが、これは作土としての牧草地や畑地の表土を削ったことに対する補償作業なのだと思われる。水田に対する客土と同じなのだろう。
  
除染された道路ののり面の崩壊防止策(霊山にて)
道路の 「のり面」防止措置
  
   

  水田の除染は土壌剥離であるが、田んぼの狭いあぜ道の草の除草による除染は行われているがその下の土壌の除染は行われていないようだ。いつかのこのWINEPブログでも紹介したのだが、全用水路の除染はこれを本気でやると、山の傾斜地を除染する以上に大変な作業になるであろうと予想されていたのだが、飯舘村ではそれをあきらめたようだ。用水路の斜面ばかりでなくて川底の剥離除染もしていないと思われる。
 
  原発事故から3年半経った現在では、ほとんどの田んぼは一部が(ばあいによっては田んぼの全面が!)イノシシによって掘り繰り返して荒らされているので、除染作業は画一的に土壌表面の5センチ剥離だけでは、放射能除染が完全でないと思われる。実際除染が終わった土壌表面線量を測ってみると毎時0.23マイクロシーベルト以上のところが多々あった。イノシシは水浴や餌探しに30センチぐらいは鼻で堀るので、放射能はそこまで表土が埋め込まれてしまっているところが多いのである。だから水田の除染は早ければ速いほど有効なのである。時間が経つほど非効率になるのである。
  
一気に除染された風景2
昨年来この地区は、何故か農業用水系にしたがって下流から上流に向かって土壌を除染していった。
   
除染土壌集積場の建設中 
水田表土を剥離して更地にして、汚染土壌集積場を造成中(比曽地区)
      
  比曽地区はかなり空間線量が高い地区であったので、除染作業は一番後回しになるのだろうと思っていたのであるが、予想に反して広大な一時保管場所の整備が現在急ピッチで進められている。まるでもとの田んぼの境界の面影がなくなっている。これまで以上に仮置き場の土台をしっかりと雨水が排水出来るように、シートを二重にしたり、溝を切り込んだり、貯水プールを作ったりと、なかなか汚染土壌の集積保管技術が向上している様子がうかがえた。この地域の住民は当面の水田耕作をあきらめ、仮置き場を提供して補償金を得る方を選択したのかも知れない。
       

流去水用の流路 
 2種類のカバー資材で2重に被覆して、周りに溝を切っている
     
  

 ひょうりゅう水の溜池

 雨水の表面流去水の貯留漕
        

  除染作業をしている会社は名前も知らないところが多いのがこれらは大手ゼネコンの下請けか孫請けと思われる。 
       
  除染直後の水田には野獣が跋扈している足跡がある。
 
除染水田へのやじゅうの侵入足跡 
野獣の足跡
    

  当たりまえのことだが、除染一年目と思われる民家の横の更地には既に雑草が侵入している。
   
除染一年目の畑の更地 
除染1年後の白い山土で客土した畑地? 雑草が侵入している
         
  除染3年を過ぎた飯樋地区の農水省が2011年に試験的に除染作付けをした水田は毎年雑草を刈り取っており、維持管理が大変のようだ。
       
除染客土3年目の水田の管理(飯樋にて)

 除染3年目の水田(雑草を伐採している)

          

  それにしても日本中の重機が飯舘村に結集しているのではないかと思われるぐらいの壮観さで、飯舘村役場の周辺以外に、あちこちにクレーン、バックフォー、フォークリフト、などの重機の集積場がある。

        
  調査の途中で、タヌキの腸が飛び出た死体をついばむカラスを見た。溝に捨てられゲンゴロウのようなムシが群がっているマムシの死体を見た。いずれも車にひかれたものと思われる。持ち帰って放射能測定に供しようとしたが、大きすぎてあきらめた。調査に来るたびにこういう情景に遭遇する。
        
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まっぷたつに車にひかれたタヌキ(腸が飛び出ている)
       
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車にひかれたマムシ(強烈な醜悪なにおいを放っていた)。向いはすばらしい紅葉なのだが。。。。
          
(森敏)

 

 

 

2014-10-26 13:09 | カテゴリ:未分類
以下転載します。

11月12日(水)、午前11時より、細川牧場裁判の第3回目の口頭弁論です。
東京地裁806号法廷。

前回9月24日の裁判では、細川さんが原告として意見陳述をしました(原稿は下に)。
こちらから東京電力に対する反論の文書と、細川牧場に確かに馬など120頭が存在したことを証言する元農協のかたの陳述書を出しました。

11月12日の裁判では、東京電力がどんな反論をしてくるのか、これが焦点です。
たくさんの方の傍聴で、東京電力の賠償逃れを許さず、細川さんの要求実現にすすみましょう。

昼12時から裁判報告集会を弁護士会館10階の1008号室で行います。








細川牧場裁判:原告(細川徳栄さん)の意見陳述
 

福島県飯館村の細川徳栄です。

私の牧場は、祖父の代から3代つづいており、おもに馬を牧場で繁殖させ、全国に販売しています。また生まれた馬を訓練し、神田明神のお祭りや相馬野馬追などのイベント貸し出したり、時にはテレビの水戸黄門など時代劇に出演させていました。東京の神田明神のお祭りに出す馬は、大都会の車や人込みにも怖がらず暴れないように十分な訓練をつまなければなりません。大変な手間をかけて育てた馬たちでした。

私の牧場は社会貢献活動として、地元の養護学校、各地の小学校や盲人施設にセラピーホースとして馬を提供していました。細川牧場の看板には「花塚ボランティア」という名称が書かれているのは、ボランティアで社会活動もしているからです。花塚とは地元の花塚山のことです。馬を更生保護事業にも協力して貸出して、人との触れ合いを作り、福島保護士協会から「犯罪のない明るい社会の実現に寄与した」として感謝状をいただきました。

私が育てた馬の中には、馬の美人コンテスト世界一に出て、日本初の金メダルに輝いた馬もいました。苦労して牛のように白と黒の毛の模様をした馬を出生させたことがあります。この馬は、テレビ番組の「何これ珍百景」に取り上げられ、番組を見ていた人から5千万円で買いたいという申し出が来たことがあります。

細川牧場には、観光客や小学生・中学生が集団でおとずれ、馬とのふれ合いやバーベキューなどを楽しむ観光と娯楽の場でもありました。

 

しかし、福島原発事故で牧場は一変してしまいました。放射能汚染がひどいから全員避難しろと言われ、私は県や国に、馬と一緒に避難できる場所を見つけてほしいとお願いしましたが、そんな場所はないと言われました。保健所の畜産の役人からは、馬などをおいて避難できないのなら、注射で殺処分する方法もあるといわれました。実際、殺処分して避難した村民もいるとすすめられました。私は怒りました。動物も人間も同じだ。私たちからすれば牧場で生まれ育った馬は家族同様です。お母さんのおっぱいを飲めない馬をミルクで育てたこともあります。馬が働くことで私たちの生活がなりたっているのです。それを伝染病でもないのに、注射一本で殺せというのは考えられないことです。この国は狂っているとおもいました。

私は、馬を見捨てられませんでしたから、飯舘村に残り牧場で世話を続けることにしました。飯館村の他の牧場では牛をかっていて、避難するときに牛を残していかざるをえませんでしたから、牛を私の牧場にあずけて、里親を見つけてくれと言い残して、避難していきました。

娘や妻は避難し、私一人で馬の面倒を見ました。娘は仕事が休みのときに手伝いに来てくれています。

2012年ごろから、馬やポニーが、次から次に死んでいくようになりました。歩けなくなり、死んで行くのです。今までに27頭も死にました。こんなことは今までなかったことです。家畜保健所に調べてもらっても伝染病ではないといいます。保健所や大学の先生が解剖し、調べています。いろんな種類の馬がみんな同じ症状で死んでしまいます。

放射能のせいではないかと疑っております。牧場のまわりではタヌキやイノシシ、キツネの死骸も見つかります。イノシシを大学の先生に解剖してもらい調べたところ、すごい値の放射能が出たそうです。渡り鳥はまったく来なくなり、ツバメは半分になりました。足のないコオロギやバッタ、赤とんぼも出ています。動物は放射能に敏感なのでしょう。学者は放射能との因果関係はまだはっきり分からないと言っても、実際、異常なことが続いているのです。

馬や牛のえさ代も大変でした。とうとう馬も手放さなければならなくなり、せり売りに出しましたが、原発事故前より安く買いたたかれ投げ売りせざるをえませんでした。馬を売りに行く途中、岩手県のドライブインに場運車を止めていたところ、「放射能汚染だから長く止めるな」と追い出されたこともありました。非常にみじめな思いをしています。

事故当時、馬は130頭、牛は20頭ぐらいいましたが、今、馬は30数頭ぐらいに減りました。飼育している馬の半分くらいは妊娠しており、子どもだけでも助けてあげたいけれど、引き取り先が見つからない現状です。

東京電力からの損害賠償について、牧場の土地、家屋、牛などは農協や村役場の指導を受けて請求し、もらいましたが、馬を飼っているのは私のところだけで、農協の職員も「馬のことはわからないから、自分でやってくれ」といい、賠償請求しました。示された賠償額は、あまりにも低い額なのでこうして裁判になりました。飯館村の多くの人は、東電の賠償に満足していません。

 

 原発事故が起きて、一番残念なのは、一緒に住んでいた家族がばらばらになってしまったことです。一人暮らしをしていると、食事もいい加減になり、震災前は90キロあった体重も一気に落ちてしまいました。昨年の暮れですが、馬が次々と死んでいき仔馬たちのみじめな姿を見ていると気持が落ち込んでしまい、首をつって自殺しようとしました。幸い、友人が見つけて介抱してくれて、一命を取りとめました。

原発事故から3年半たちましたが、飯館村は復興とはほど遠く、悲惨な状況はまったく変わりありません。避難した人たちで若い人たちの80%は、もう飯舘村には戻ってこないといいます。

牧場は放射能汚染されて元には戻りません。将来にわたって、牧場としての商売はできません。それでも馬を見捨てるわけにはいきません。原発事故によってみじめな苦しいことばかりです。裁判官に望むことは、原発事故が起こる前の生活に、明るいのどかな飯館村の生活を取り戻してほしいということです。元の生活に戻ることはむずかしいことかもしれませんが、ぜひとも公正な判決を下され、二度とこのような事故とみじめな生活が繰り返されることがないように切に望みます。



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以下11月11日に届いた事務局からの連絡です


あす11月12日(水)、午前11時より、
反原発・細川牧場裁判の口頭弁論です(東京地裁 806号法廷)。

東電は、反論書でいまだに130頭も馬がいたとは信用できない、領収書がいい加減だなどと、こちらが元農協の職員の証言陳述や詳細な資料を出しても認めず、争う姿勢です。事故への真摯な反省もなく賠償額を値切り、長引かせる不当な態度です。

皆さんの傍聴の力で、細川さんの親子を励まし、東電を追及しましょう。
昼の12時からは弁護士会館10階の会議室で報告集会です。
ご参加よろしくお願いします。



2014-10-14 18:24 | カテゴリ:未分類

これまで立ち入り禁止で入れなかった浪江の「帰還困難区域」に調査に入ってみた。

 

東電福島原発爆発当時、原発から20㎞圏外であるにもかかわらず浪江町の赤宇木(あこうぎ)地区は毎時150マイクロシーベルトの空間線量であったと、文科省から報告されている高線量地域として有名である。その後、I-131などの短半減期の核種が急速に消滅して現在では、Cs-134 と Cs-137が空間線量の主成分である。

 

今回その地点で道路脇に面して設置されている金属フレームの片面が葛(くず)の葉に覆われた線量計は毎時6.120マイクロシーベルトを示していた。
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毎時6.12マイクロシーベルト!
  

そこから東に進んで交差点の川房字大柿(大柿簡易郵便局前)では毎時9.089マイクロシーベルト(写真に示す小生の線量計では毎時10.51マイクロシーベルト)を示していた。

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 毎時9.089マイクロシーベルト!
  

この後ろのコンクリートの路面は毎時13.07マイクロシーベルトを示していた。

 DSC04372--.jpg
毎時13.07マイクロシーベルト!
 

途中で見た道端のスギや民家のスギが激しく枯れはじめていた。

 DSC04325--.jpg

 杉が枯れ始めている!
  

田畑は荒れ放題で原発爆発後3年半の人の手が入っていない現在では種々の草木が繁茂して原野と化しておりとても耕作地であったとは判別できない。

DSC04342--.jpg 
水田が原野と化している!
 
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元の田畑に各種の草木が侵入している(植物層の遷移が起こっている)。
   
  小生はジョロウグモなどの採取をしたのだが、空間線量が毎時数マイクロシーベルト以上の高度放射能汚染地区では、このジョロウグモの生息数が非常に少ないように感じられた。彼らが好んで網を張るサクラの木の枯死が進行していると思われた。
      
 

  さらに東の通行禁止の北沢橋ゲートでは空間線量毎時7.23マイクロシーベルトを示していた。これから先はもっと空間線量が高いために通行禁止になっているのだろう。DSC04383--.jpg

       

  浪江町は東西に長いので、時間の関係で広範囲に汚染している全行程をとても走破できなかった。再度訪れるつもりである。用心したつもりであるが、丸一日の調査で小生は23マイクロシーベルトも被曝した。

           

前述したように、現時点では多くの短半減期のγ-線放出核種はすでに消滅しており、単純に計算すると、原子炉暴発後約1300日経過した20141013日現在で、陸域にはγ-線放出核種としてはCs-134が爆発当初の30%が残っており、Cs-137が爆発当初の93%残っていることになる。爆発時にはCs-134Cs-137が原子炉から等量放出されたと考えられているので、現在残存している陸域の総放射性セシウム量は当初の(30%+93%)/2=61.5%となっているはずである。
      

     

(森敏)

付記。
今後はこれまでの一見急激な減衰をしてきた短半減期のCs-134の総放射線量への減衰への寄与率が急激に少なくなり、半減期が30年と長いCs-137の減衰への寄与率が主になるので、遅々として総放射線量の減衰が進行しないことになる。単純な半減期計算で、これから10年経っても総放射線量は主としてCs-137として現在の60.3% がまだ残ることになることを忘れるべきでない。いわゆる風雨による風化(土壌からの縦横への流亡、土壌固着、生物濃縮によるリサイクル)などによる因子を考慮に入れても、これが現在の50%以下になることは難しいだろう。

2014-09-30 10:14 | カテゴリ:未分類

 北沢宏一氏が死去 原発民間事故調の委員長

2014929 1945

東京電力福島第1原発事故を民間の立場で検証した「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)で委員長を務め、東京都市大学長の北沢宏一氏が26日午後1時24分、急性肝不全のため東京都内の病院で死去した。71歳。長野県出身。通夜・告別式は家族葬で行い、後日「お別れの会」を開く。日程は未定。

 東京都市大が29日、発表した。

 高温超電導が専門で、東京大教授などを経て2007~11年に独立行政法人の科学技術振興機構の理事長。

 原発事故後の11年10月、国会や政府の事故調査委員会とは別に、民間の立場で事故を検証するためつくられた民間事故調の委員長に就任した。

(共同)

 

 

今朝6時ごろ、眠れないのでテレビのテロップの流れをばくぜんと見ていたら北沢宏一氏の死去が報じられて、仰天し、目が覚めた。

平成7年に科学技術振興機構(当時はまだ科学技術庁だったかも知れない)が、「戦略的基礎研究」(CREST)というあたらしい大型プロジェクト研究を立ち上げ、激戦の末その時7人が選抜採択された。北沢氏はその一人だった。小生もからくも採択された一人である。北沢氏は5年間続いたこの第1期CRESTプロジェクトの毎年の研究成果発表会では「高温超電導」では舌鋒鋭く議論を展開された。
       このプロジェクトが終わってからしばらくして、北沢氏は定年前に大学の最先端の研究者から、科学技術振興機構の理事という珍しいコースを歩まれた。その後理事長職に就任し視野が広く科学技術行政に多大な貢献をされたと思う。科学技術予算に関して財務省や文科省からの縮小の圧力に関してはそれを跳ね返すべく例年苦悩されていた。地下鉄「東大正門前」のエレベーターでは時々お会いした。
       東日本大震災後は積極的に原発民間事故調を立ち上げたりして、科学者として社会に対して積極的に発信していた。自ら苦労を買って出て「なぜ原発事故が起こったのか」の事実解明に力を注がれた。本当によくやっているなーと感心させられたものである。最近東京都市大学長を務めていることは全く知らなかったのだが、自然科学系出自としては議論を取りまとめる能力が抜群で何かと「長」を務めるにふさわしい人物であったと思う。新天地東京都市大学長では激職で体の健康管理に費やす時間がなかったのだろうか。 まだまだ早すぎる死去だ。 実に惜しまれる。
  

合掌 

(森敏)

2014-09-26 13:38 | カテゴリ:未分類

  毎月の「文芸春秋」の巻頭言を担当している立花隆氏が、東大医学部付属病院の救急部・救急治療部長である矢作直樹著の「人は死なない」という本に対して、珍しくもこの現役の東大教授を罵倒している。いわく、

 

::::::::誰でも読めるやさしい文章にして、世の中に中身がスカスカの本があるのかと唖然とするほど内容がない本を作った。::::::総じて文章は低レベルで「この人ほんとに東大教授なの」と耳を疑うような非科学的な話 (:) が随所に出てくる。これは東大の恥としか言いようのない本だ。:::::::

 

と罵詈雑言を浴びせている。小生は生と死などオカルト的な話には全然興味がないので(というよりこれまで5回ぐらい失神してあの世をさまよったので、あの世に行くときはポット逝ってしまうだろうと確信しているので) 、この本を読む気は毛頭ないのだが。その文章の低劣さを味わうためにはこの本を本屋で立ち読みしてもいいかなとは思ったことである。逆説的な意味で立花の文章はこの本の宣伝になっているかもしれない。

 

  現役の東大人が現役の東大教授を批判するのはなかなか心理的にも抵抗があるだろうが、東大の卒業生が現役の東大教授を批判することは大いにやるべきだと思う。今は学生も本当におとなしくなって紳士になってしまったのか、東大内部から1960年代の東大教授の「否」を吊し上げた時のような元気がないのは、すこし寂しい。学内にいろいろと問題がないことはありえないのだが。現今では、東大に限らずどの大学も、いろいろな不祥事は大学の外部から指摘されて火がついているようだ。「不正経理」の問題や「論文偽造」などはなかなか学生の手に余る 経験や知識を要するので、問題の所在さえつかめないのかも知れない。それでも学生たちには自分たちが受けている「教育」などに関しては、不信や不満がないとはとても思えないのだが。
 

(森敏)