2016-12-08 14:14 | カテゴリ:未分類
  小生は老人ゆえか、現地調査の途中では、結構頻繁に水分を補給している。そうしないと、筋肉に水分が行かないためか時々足がしびれるからである。だから必然的に頻繁に尿意をもようすので、自動車を降りて道ばたから少し林内に入って、尾籠(びろう)な話で恐縮だが、立ちションベンをする羽目になる。そのときは、必然的にあたりの植生をじっと眺めることになる。もちろんかなりの放射能を浴びながら。
  
     
       飯舘村の 「あいの沢」 は、本来はキャンプ場であったのだが、いまは人っ子一人いない。昨年夏にここでやっと除染作業が行われた。除染といっても道路と道の両側の20メートル幅の山林の下草や土を深さ15センチばかりをとりのぞくのだから、どうしても地下茎で連なっている一部のシダ類などは、のぞき切れていない所がある。そこまで徹底的にやると作業に時間がかかって、だから除染作業員の労賃がかかるので、しかたがないからだろう。一応地表面が毎時0.23マイクロシーベルトにまで低下することを目指しているようではあるが。
  
  昨年の春、例によって小便をすべく林内に入った。数メートル入った林の中の空間線量は毎時4.5マイクロシーベルトであった。そこでは芽を出し始めたばかりの丈の低いワラビが群生していた。
      
  ワラビのいくつかを根から切り取って研究室に持ち帰って、ガイガーカウンターで測定してみると、意外に葉のベータ放射線量が高いので、それをオートラジオグラフに取ってみた(図2)。また、組織を各部位にわけて放射能を測定した(表1)。
 

 
スライド4 
 
 図1.春先の若いワラビの写真

 
スライド5 
図2.図1の若いワラビのオートラジオグラフ
   
 
 


         表1 ワラビの各部位の放射能(ベクレル/乾物重)
 ワラビjpeg  



       図2で定性的に,表1で定量的に明らかなように、シダも未展開葉では若干放射性セシウム含量が高い。しかし、次の図3の葉が全面展開したものでは、図4、図5で見るように、枝の最先端の葉は少し他より放射能が高いようだが(図5のネガテイブ画像で特に理解されると思う)、比較的放射能は均一に分布しているように見える。一見左側の茎が強く感光しているように見えるがこれは茎が葉に比べて数倍の厚みがあるので、放射能が重なって感光しているためである。


  
 
スライド1 
 図3.浪江町で採取したシダ
 
スライド2 
 
 図4.図3のシダのオートラジオグラフ ポジ画像
 
 
スライド3 
 図5.図3のートラジオグラフ。ネガ画像
 
 
  
地下茎の多年生のシダ類(ワラビはシダ類の一種)はタケノコと同じように根系が土壌の表層直下数センチあたりを縦横にうねっていて、根がそのあたりに集積している土壌の可給態の放射能を吸収して根系を通じてあちこちの新芽に直ちに分配するので、いつまでも地上部の放射能が高く推移する可能性が高い。


  

 
(森敏)
 

 


 
 
 
  
2016-11-29 07:47 | カテゴリ:未分類
   浪江町の高瀬川上流には道路脇に切り立った崖があり、そこに『長寿の水』 という標識がぶら下がっている所がある。急峻なために、崖崩れを危惧して金網が全面に張り巡らされている(図1)。 近くに駐車場があるので原発事故前には、この名水を汲みに、多くの住民がポリタンクなどを持って訪れたものと思われる。
 
  そこの崖面に何種類かのこけが生えていたので、その内の特徴的なコケを採取して放射能を調べてみた。コケ図鑑によるとこのコケはヘビの模様に似ているので蛇苔(ジャゴケ)と呼ばれているもののようである。
 
  
スライド1 


図1. 「長寿の水」 のしたたり落ちる崖 
  

 
スライド2 
 
図2 蛇苔の拡大図
  

  
  はがして乾燥して(図3)オートラジオグラフを取ると、図4のようになった。図4の黒い小さな濃く感光したつぶつぶは、コケが上からしたたり落ちる小さな目に見えない土を吸着しているのである。こけの裏側には大きな強く感光した黒点があるが、これは岩から引っぺがしたときに、くっついてきた自分自身の旧い枯れた個体である。それらが放射能に強く汚染している。
 
 

スライド1 

図3。崖からはがしたジャゴケ   
   
    
 
  
 
スライド2  
 図4  図3のオートラジオグラフ
  
     
 
   できる限り水洗して表面の固体をのぞいてゲルマニウム半導体で放射能測定したのが 以下の表1である。このジャゴケは絶えずしたたり落ちる水で洗われ続けているので、原発事故後5年も経てばいい加減にきれいな新しいコケになっているのかと思ったら、なんのことはない放射能(放射性セシウム)は厳然として、まだ高濃度で含まれたままである。表1に見るように、放射性カリウム(K-40) の濃度も高いので、このコケはセシウムばかりでなく元来カリウムをため込みやすいものと思われる。蛇の目に見えるコケの表層にあるカリウムのトランスポーター(膜輸送体)を使って、ごく微量の放射性セシウムも体内に吸収してため込んだままなのだろう。
     
  この場所は「長寿の水」と言われるぐらいだから、渇水することもなく原発事故以来の森林の表流水の希薄な放射能をこのジャゴケはずっとため込んできたのだろう。

   

  

      表1.ジャゴケの放射能(ベクレル/kg乾物重)
 スライド1
   
(森敏)
付記:コケの同定は難しい。今回は
 
 生きもの好きの自然ガイド 

 
このはNo.7 「コケに誘われ コケ入門」 文一総合出版
 
の写真を参考にした。

2016-11-22 22:29 | カテゴリ:未分類
 
少し論文調になりますが、赤松が奇形になる理由について、以下に説明いたします。
    
  浪江町の津島高校分校は今は誰もいませんが、2011年3月11日東日本大震災の後に起こった、東電福島第一原発事故のあと、浪江町よりも南の市町村の人たちが、避難してきて何日間か宿泊したところです。浪江町の住民は彼らを炊き出しで支援し、自分たちもそこでかなりの被ばくをしたはずです。
     
  ここの校庭は、当時の状況を現状から考察するに、更地にして新しく山土で均平にされて余り年月がたっていなかったと思われます。3月15日にはその更地に近い山土の校庭にかなりの放射能が降雨とともに降り注いで、空間線量は毎時20マイクロシーベルト以上になったのではないかと思われます。現在毎時5マイクロシーベルト前後です。
    
  当時何も生えていなかったその校庭には現在東側の山から次第に赤松が侵入してきて、旺盛な生育を示しております。この山土は酸性で貧栄養なので、松やススキしか生えないようです。(図1)

  

   
   
スライド1 
  (図 1) 東側の斜面から赤松が優先的にランダムに侵入してきている校庭

     

    この山肌の斜面はほとんどアカマツが優先種であり、その松の10-20%ばかりが主茎になんらかの奇形を呈しています。先端部が大きく二股や3つ股に分かれて伸長しているのです。普通は一本だけがすくっと伸びるのですが。(図2、図3、図4)
  
  
 


スライド2 
(図 2) 赤松の群生地と化した東側の斜面

  
  


goyoumatsu jpeg 

(図 3) 主茎が3つ又になっている (中央部分の3本)

   

  

スライド3 
 
(図 4) 分枝が異常に多く太い枝が3本見える。普通は5-6本。
 
    
   そこで、図3の3本の奇形主茎のうち、一本を切り取ってラジオオートグラフを撮ってみました(図5)。すでに先端部は8本の幼芽をつけています。これらが次の枝や松かさになっていくのです(図7)。
    

   

スライド1 
 


(図 5) 3本の奇形枝の1本を採取した。
   
     





スライド1 
 
 


(図 6) 図5のオートラジオグラフのポジテイブ像(左)と、ネガテイブ画像(右)。 先端の葉芽の画像が圧倒的に強く放射線で感光していることがわかる。
 
   

  

スライド4 

 


  (図 7) 先端部分の拡大図  すでに8つの新芽が付いている。

      
   


 スライド5

 
 
(図 8)   図6(右)のネガテイブ画像の拡大図。葉芽が鮮明に濃く映っている。
  
     

    図6、や図8 で定性的に明らかなように、マツの幼芽はほかの組織に比べて圧倒的に放射生セシウムが濃縮しやすい場所と考えられます。事実、この枝の組織をばらしてNaIスペクトロメーターで放射性セシウムを測ると、以下のような数値となりました。新芽は1キログラム乾物重あたり13万ベクレル以上(!!)を含んでおり、これはほかの葉や幹の10倍以上の濃度です (表1)。
             
  この高く濃縮した放射能による内部被ばくと、毎時数マイクロシーベルトの外部被ばくで、ここの赤松はいまだに新芽の細胞の奇形分化が進行していると考えられます。


    
 


     表1 赤松の枝の部位別放射能 (Bq/kg乾物重) 
 
   
五葉松の放射能jpegブログ用 
 
    


   

(森敏)


 
付記1: ネガテイブ画像は加賀谷雅道カメラマン制作によるものです。NaIスペクトロメーターによる測定は広瀬農・助教(東大農学生命科学研究科)の協力によるものです。
 

付記2: 関連記事を以下のWINEPブログに載せています。クリックしてご参照ください。

2016-11-08 19:01 | カテゴリ:未分類

文京区役所があるシビックセンターで宮沢賢治高村光太郎の展示会が開かれている。

会期:平成28116日(日曜日)から1114日(月曜日)まで

        午前10時~午後6時(最終日は午後5時まで)

会場:文京シビックセンター1階アートサロン(文京区春日11621)

入場料:無料(どなたでもご自由にご覧になれます。)

主催:文京区

      

この展示ではこの二人は居住地花巻では実際の交流はなかったが、文芸上では最後に以下の二つの詩で合体するというストーリーが組まれている。高村光太郎の妻の千恵子の死を、死後数年後に回想して光太郎が詠んだ詩「レモン哀歌」が、宮沢賢治が妹トシの死を前にして詠んだ詩「永訣の朝」の影響を強く受けているという解釈である。
    
  このことは今では文芸史上通説なのかも知れないが、小生はそういう発想ができていなかったので「なるほど!」といたく感心した。
 
  賢治の詩「永訣の朝」の直筆のコピーと、光太郎の詩「レモン哀歌」の直筆原稿が展示されている。特に後者の独特のペン字の肉筆が小生には非常に魅力的で印象深かった。蛇足ですが2人の詩を以下に転載しておきます。「ゆき」と「レモン」の箇所を赤字で示しました。


             

永訣の朝 (宮澤賢治)
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
Ora Orade Shitori egumo
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆき
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

    
     

レモン哀歌(高村光太郎)
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモン
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

    

     

(森敏)

付記:半ば冗談だが、上記の両者の詩を小生が病理学的に解釈すると以下のようになる。
   
   

  詩から考察するに、死の寸前まで炎症性の熱を持つ賢治の妹トシは、つめたいものを要求する「氷食症」で、これは慢性鉄欠乏性貧血の症状であり、トシは慢性的に栄養欠乏であったと思われる。ほとんど野菜ばかり食べて肉由来の吸収のいい「ヘム鉄」を摂取していなかったのではないか? 熱心な仏教徒である賢治も菜食主義だったので、その後、彼も栄養欠乏、おそらく慢性的な鉄欠乏で結核で若死している。
  
   

  一方、光太郎の妻千恵子は死の寸前は「ビタミンC欠乏」だったのではないか。酸っぱいレモンを丸ごとかじるときは体がビタミンCを要求しているから、レモンがむしろ甘く感じるのである。小生も時々紅茶に入れる薄切りレモンを生かじりすることがあるのでよくわかる。最近は国産(瀬戸田)の天然のレモン汁を瓶ごと買ってきて、それをお湯で薄めてそのまま痛飲している。
        
   偶然だが、小生はずっと鉄欠乏性貧血症なので鉄剤(フェロミア)とビタミンC錠剤を時々同時摂取している。ビタミンCが鉄の腸管吸収を良くするという世界の鉄栄養学会の定説を信じているからである。だから二人の詩を読んで「トシ」と「智恵子」の病理に気がついた。たぶんこの推察は正しいと思う。とにかく少し前までの日本の庶民はほとんどが何らかの栄養欠乏症だったから、病原菌に対する抵抗力が弱く、結核などの感染症にかかって早死にしたので、日本国民の平均年齢が低かったのだから。

      
2016-11-04 17:25 | カテゴリ:未分類
PB040063ゴッホ収穫 
ゴッホ作「収穫」
   
DSC02179 ゴッホのマグカップ 

「収穫」をラベルした、ゴッホとゴーギャン展の記念のマグカップ

         

前回の東京都美術館での「若冲展」は見逃した。暇ができたので上野公園に出かけたのだが、都美術館前は長蛇の列で、入館には5時間待ちだということであったのであきらめたのであった。

    

今回「ゴッホとゴーギャン展」のキップが手に入った。長蛇に並びたくないので今回は朝飯もそこそこ勇躍早朝に出かけた。東京都美術館には午前9時に着いたのだがすでに3名のご婦人たちが門前に並んでいた。すぐに続々と人々が集まって来て、小耳に挟むと山梨から昨晩発の夜行バスで来られた方もいるようであった。マニアがいるもんですね。9時半に開門したのだが、案内にしたがって歩いていると前の3名はキップを持っていなかったので、彼女らは切符売り場に行った。なので、なんと!結局小生が一番最初の展示会場への入場者だった。こんなことは人生で初めての経験だ。完全に自分のペースで名画を鑑賞することができた。久しぶりの至福の時間だった。

    

会場にはゴッホの絵が27点、ゴーギャンの絵が18点あった。その間に他の有名画家の絵がちりばめられて絵が増量(?)されていたのが少し煩わしかった。

    

ゴッホの絵は数点を外国や日本の美術館のどこかで実物を見たことがあるが、ゴーギャンは全部実物を初めて見るものだった。ここでは絵が傷むからという理由で照明を絞っているので、ゴーギャンの絵はたぶん白日の下で見る絵よりも独特の「赤色」がくすんでに見えたのではないかと思う。実に残念だ。

 

ゴッホで小生が一番気に入った絵は『収穫』という、遠近法だが遠くの人物の細部までしっかりかかれている明るい田園風景である。ゴッホがまだ精神を病む前の絵である。絵の教科書にも載っていたと思うのだが実物はさすがにすばらしいと思った。

 

ゴッホは病状が進行してくるとテンペラ画になって細部を描かなくなってくる反面、幻覚の脳内画像をそのまま描く、揺らいだ筆のタッチになっていく。それはそれで面白いのだが、いつまでも近くに置いておきたくなる絵ではない。ゴッホの自画像を含めた諸々の人物画については小生にはあまり興味をそそるものがなかった。その後、両耳切断ピストル自殺に至る。

 

一方、ゴッホと一時同居して画業を競い合ったというゴーギャンに関しては、ゴーギャン自身の自画像がとても迫力があった。理知的で自信に満ちた自画像である。絵画について確たる理論を持っていたのだろうと想像した。二人は絵画論を熱心に議論しあって、お互いに大いに刺激を受けたが、結局けんか別れしたということである。両雄並び立たずということなんですね。しかしこのケンケンがくがくの議論について詳細な内容が二人の手紙や書簡で後世に残されていないらしいのは残念である(すくなくともこの展示会では紹介されていなかった)。

 

帰りにA5版の大きさの「収穫」の絵のコピーとその絵はがきと、この絵が貼り付けてあるマグカップを買った。本ブログの冒頭に掲載したように、いずれも会場の本物の実物とは雲泥の差のコピーだが、仕方がない。早速コーヒーを入れてカップの絵を見ながらこのブログを書いている。

     

(森敏)
追記::精神が病んだ画家としては最近文化勲章を受章した草間彌生がいる。彼女については以前に述べたことがある。彼女の絵はゴッホをはるかに超越していると思う。
     2014/02/01 : 絵画展雑感