2016-06-24 10:01 | カテゴリ:未分類
  


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図1。弁当箱に回収された放射能汚染の森林土壌の断面図。一番上の黒い部分が落ち葉などの有機物層。
  
 
 
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図2.図1のオートラジオグラフ。
 
 
 

先日のNHKスペシャルBS1「被曝の森」では小生も多少取材に協力した。当日放映はされなかったのだが、いくつか協力をした中でも、放射能濃厚汚染現地での土壌断面の放射能分布の映像化はわれわれとしてもとくべつに力を注いだものであった。すでに論文では発表していたのだが。
   
  これまでも土壌断面の放射能分布は数値としてはあちこちで発表されていたのだが、オートラジオグラフとして可視化したものは、我々の論文(付記1)と書物(付記2)が世界でも最初であった。これをもう一度現場で作業する姿を撮りたいというので、我々はいろいろ準備をした。一日前に浪江町で適当な山林内を物色して、穴を掘る場所を定めて、試験的に穴掘りをした。最終的に土壌断面が平面として、切り出されなければきれいなオートラジオグラフにはならないので、実はそのための各種資材の調達や作業手順の苦労が大変であった。
  
  NHKのクルーと「γ(ガンマ)ーカメラ」を試作している日立アロカのクルーと、浪江町ゲート入り口で合流して、現場に到着すると、早速われわれは穴掘りに取りかかった。その作業の様相をテレビカメラが撮影した。平滑な土壌断面(soil profile)が現れたところを γーカメラ が撮影し、それをテレビカメラが撮影していた。オートラジオグラフにするには片側断面が平滑な土塊を弁当箱にきっちりと回収する必要があったので、我々は再度付近の別の土壌を慎重に掘り土壌サンプルを回収した。しかしこの場所ではγーカメラではあまりシャープな映像が得られなかったようで、NHKクのルーはご不満のようで、今度は全く場所を変えて、少し明るい林床の傾斜地を鉛直に切りくずして、その断面を γーカメラで撮影すると、土壌表層数センチ付近が強く染まり、NHKのクルーもご満足の様子であった。
 
  一方、弁当箱に回収した土壌サンプル(図1)は、大学に持ち帰って、次の操作に移る必要があった。「弁当箱の上にIPプレートを乗せて感光させる」というと原理は簡単だが、作業は意外と複雑だ。土壌が少し水を含んでいるので、この水がIPプレートにふれると水の妨害により感光映像が台無しになる。そこで土壌表面とIPプレートの間に厚めのサランラップを敷き、その上にIPープレートをぴったりと乗せる必要がある。ぴったりとするためには、IPープレートの側を下にして、弁当箱を上にして土壌の重みでぴったりさせる必要がある。そのように弁当箱とIPプレートをセットでよいしょと周辺を汚染させないように天地を逆転させる。そのあと全体を暗幕で遮光した特製の容器の中に、滑り込ませ、装置全体をきっちりと水平に静置する。この一連の操作は運動神経の俊敏な加賀谷雅道カメラマンが行った。暗幕の遮光装置自身も彼の作成したモノである。その一連の操作をテレビカメラが納めた。そのまま1週間ばかり放置した後BASで現像する。その結果の映像が上記の図2である。
 
  一見して一番上の有機物層とその下の腐植層に放射性セシウムが局在していることがわかる。
    
土壌断面放射能分布jpeg60 
表1。森林土壌の地表面から土壌深部への放射性セシウム(Cs-134 + Cs-137)含量の分布
  
       

図2をさらに定量化したものが上の表1である。表1は図1の弁当箱の中の土壌をを上からスパーテルで水平に3.5ミリ間隔でていねいに削り取ったものを、プラスチックの NaIスペクトロメーター用容器に入れて、放射能を測定したものである。土壌表層から30ミリ(つまり3センチ)以内に土壌に降り積もった放射能の95%以上が含まれていることがわかる。このように降りそそいだセシウムは事故発生時以来5年たっても土壌の縦方向にはあまり動いていない。このような表はすでに内外の数報の学術雑誌で報告されていることである。
         
   このように我々がいささか苦労して協力した映像化のための努力は、NHKスペシャルでも、その後の再放送のBS1スペシャルでも放映されなかった。紹介したい役者(研究者)達が多くて、1時間という放映時間内では盛り込めなかったのだろうと好意的に解釈している。しかし、得られたデータを世の中に発信しておかないと、我々は何もしなかったことになるので、今でもこれは有用な国民が共有すべき情報であると考え、ここに報告しておく次第です。
      
 
(森敏)
付記1:Hiromi Nakanishi et al. Proc. Jpn. Acad. SerB  (2015) 91:160-174
付記2:「放射線像 放射能を可視化する』(皓星社) 森敏/加賀谷雅道著
付記3:表1の土壌の放射能測定は 東大農学部RI施設の広瀬農助教によるものです。
 

2016-06-20 06:46 | カテゴリ:未分類

   
焼却処理が完了 放射性物質汚染の下水汚泥 2016/06/01 11:02 福島民報 )

 郡山市の県県中浄化センター下水汚泥仮設焼却施設で31日、東京電力福島第一原発事故による放射性物質に汚染された下水汚泥の処理が完了し、施設の運転が終了した。
 施設は環境省が整備し、平成25年9月に1キロ当たり8000ベクレルを超える放射性セシウムを含む「指定廃棄物」の汚泥約1万1千トンの焼却を開始した。26年4月からは同8000ベクレル以下の汚泥約2万7千トンを県が処理した。
 汚泥は全て同センターでの下水処理の過程で発生した。焼却前、フレコンバッグ(除染用収納袋)に入れられ、センターの敷地内に山積みされていた。
 焼却灰約7500トンはフレコンバッグと貨物コンテナに入れて敷地内で保管している。このうち約7千トンは指定廃棄物で、国有化された富岡町の管理型処分場に搬入される見込み。8000ベクレル以下の残る約500トンは埋め立て処分できるが、県は環境省と対応を協議している。県は29年3月までに施設の解体を完了する予定。費用は東電に請求する。
   
   

去る20151121()午後900分~949分 に放映された
NHKスペシャル シリーズ「東日本大震災追跡原発事故のゴミ」
に関しては、このWINEPブログでも紹介したのだが、読者はすでに忘却の彼方だと思う。
   
     このときの現地の映像がすこし放映された『福島県・県中浄化センター』について、「放射能汚染した活性汚泥の焼却を終えた」という由の記事が、上記「福島民報」に掲載された。小生はこのNHKテレビクルーの取材のときに、頼まれて福島県郡山にある「県中浄化センター」に同行したので、今回の新聞記事には感慨深いものがある。小生自身もこの時カメラ撮影したので、以下に施設を簡単に紹介しておきたい。最近の義務教育では生活科学科での環境教育の一環として <下水道施設の見学> などが組み込まれているようなので、若い世代には以下の内容はめずらしくもないかもしれない。しかし60歳以上の日本国民は下水道施設を見学された経験のない方が多いと思うので。


  
スライド1

 図1.福島県「県中浄化センター」本館の最上階のガラス窓越しに北側の 微生物による汚泥処理施設 を俯瞰した光景。 画面中央部全面は広大な開放型の曝気槽。 
  
     
  図1の手前の暗渠(あんきょ)から下水を取水し、画面中央部の開放系の曝気(ばっき)層で好気的に菌体を培養して汚水成分を栄養源として吸収させて増殖させて、左上方の白い建家(図2)の中に生じた菌体(汚泥成分)を回収し、汚泥脱水機(図3、図4)で、水分を絞って濃縮汚泥とし、これを回収し(ここに菌体に取り込まれた放射能が回収される)、きれいになった:(生物的酸素要求量(BOD)が低下した)水は向かいの山がわの下を流れる阿武隈川に放流される。
 
  原発事故以来この県中浄化センターでは濃縮汚泥の一部を掻き取って1リットルのプラスチック容器に入れて(図5)、放射能測定器で放射能を測定している(図6)。以前にもWINEPブログで紹介したように、主としてI-131、Cs-134、Cs-137が現在でも検出され続けている。

 

 

 

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図2.汚泥処理棟

 


 
 

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図3.汚泥脱水機 


 
 

 

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図4. 汚泥脱水機の横のふたを開けたところ。フィルター越しに絞り水がでている。

 


 
 

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図5.汚泥脱水機から掻き取った汚泥が入ったの測定用容器
 

 

 

 

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図6.放射能測定器。このなかに図5の容器が入っている。測定値が机上のコンピューター画面上上でピークパターンとして表示されている。 

 

 
スライド3 
図7. 奥の赤い建物が本館。玄関南正面に汚泥が入ったフレコンバックががずらりと約1万袋並んでいる。写真右の空き地は、これまでに焼却処理にまわされたフレコンバックがあったところ。図1の写真はこの本館最上階から北の山側を俯瞰したもの。 

 

  図7にみられるフレコンバック内の汚泥を順番に高温で燃焼して減容化していっているのだと所員に説明された。高温燃焼は民間業者が請け負っており、「平成27年までに終了すべし」という地域住民との契約であるので、その時点で解体するとのことであった(今回の福島民報での報道は、その住民との約束を忠実に実行している、ということの表明なのだろう)。この高温燃焼炉なるものは建屋全体が全面的に高い塀に覆われたもので、中身は残念ながら見学させてもらえなかった。高温燃焼で出てきた線量の高い飛灰を付着したバグフィルターや、高濃度に濃縮された焼却灰の取り扱いをどのように行っているのか非常に興味があったのだが、現在あいにく工事中という理由で見学は断られた。映像がテレビで放映されて、クレームがくるのをおそれたのかもしれない。この燃焼施設などの建設や運転費用なども教えてもらえなかった。上記の記事では汚泥焼却にかかった費用は東京電力に請求すると報じられている。当然だろうが、いつ実現するのだろうか? 

スライド2 
図8.燃焼した灰やバグフィルターなどの保管庫エリア。奥の方にももう一か所山積みされている。あと2カ所別のところにも。
 
    

  放射線量が高い焼却灰などはフレコンバックに詰められて、それらがこの時点ではステンレス製(?)の20トンコンテナに内蔵されていた。図3.の写真に見るように、このコンテナが20(横)x3(横)x4(高さ)x(2カ所)=480個ばかり集積されており、まだ増える様相であった。写真のコンテナを囲む緑のフェンスの脇で放射線量を所員に測定してもらうと毎時0.23マイクロシーベルトで、そこからはなれるごとに線量は低下していったが5メートル離れても 毎時0.12マイクロシーベルトあった。コンテナの中身は相当な放射線量と思われる。我々が訪問した昨年10月の時点では、このコンテナに収蔵された高濃度放射能含有廃棄物はこれをどこに持っていって貯蔵するかあてがないようであった。しかし今回の新聞報道では「このうち約7千トンは指定廃棄物で、国有化された富岡町の管理型処分場に搬入される見込み」とある。実際にはいつになることやら。
        
  
現在も発生し続けている低濃度放射能汚染汚泥は、許容基準が8000Bq/kg以下という暫定基準を満たしているかぎり、従来通りの扱いになるのだろう。しかしいくら合法的だと言っても、従来通りのルートで埋め立てや従来通りの燃焼炉での焼却にただちに持っていけるかどうか、不透明なところがある。しばらくはまだ敷地内に集積保管されるのではないだろうか。
             
  以前にも述べたように、福島県ではこの県中浄化センターと県北浄化センターは原発事故以来、忠実に活性汚泥の放射能値を毎日測定し毎月ごとにホームページ上に開示している。このモニタリング事業は地味だが非常にすばらしい活動だと小生には思える。なぜなら、もし東電福島原発が廃炉工程で再度爆発したりして放射能が飛び散れば、それが直ちに活性汚泥に反映されることが今や明らかになっているからである。このモニタリング事業は一種の原発の監視機構として機能しているのである。したがって福島第一原発の廃炉が続くまでずっと続けるべき事業だと思う。
 
      
(森敏)
付記:濃縮汚泥にいまだにI-131が検出され続けている理由については、別の機会に紹介したい。 
  
 


  
 
  



     

  


2016-06-15 21:47 | カテゴリ:未分類

      
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図1.曲がりくねった傾斜地の道路で雨水とともに流されてきた土やワラや落ち葉や埃が滞留するところ
       
  図1に見るように、傾斜があるコンクリート道路のカーブ地点には、上流から流れ込んできた枯れ葉や落ち葉やヘドロが集積している。水はけが悪いので、道路の表面を流れてきた汚染水がヘドロに濃縮している。そこには激しい乾燥や湿潤に適した地衣類が繁殖している。逆にこれらの地衣類ががっちりとヘドロを抱えて離さない。

     
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 図2.地表面が毎時49.7マイクロシーベルト!
       

  図2に見るように、ポケット線量計で土壌表面は毎時49.7マイクロシーベルトと非常に高い。道路の中央部で地上1メートルの高さでは毎時6マイクロシーベルトであるのだが。

   
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 図3.全組織がランナーで連なったクローン

    

  図1のように、コケを土ごと切り出してその根をほぐしていくと、図3のように、全部ランナーで連なったクローン組織であることがわかる。大学に持ち帰って絡み合った組織を徹底的にほぐしたのちに、徹底的に水洗して土を落として、完全に乾かしてからオートラジオグラフを取ると、図4になった。


BAS 10 
図4.第3図のオートラジオグラフ

  図3と図4を比較して観察すると、まず根に絡んだ土や落ち葉が放射能に濃厚汚染しており、ランナー自身も比較的均一な濃度で薄く放射能汚染しており、ランナーの一定の間隔に分布している節位が点々と強く放射能汚染していることがわかる。ここは微細構造的には導管と師管が複雑にに入り組んでいるところである上に、いくつもの分岐根が発生している所である。この節位は分岐根から直接土壌の放射能を吸収しており、断面積あたりのセシウムの滞留時間が長いため、オートラジオグラフでは濃く写るのである。一方地上部の緑の多肉部分はぼけて見えるが薄く汚染している。
     
  このように雨が降ると必ず傾斜地であるがゆえに水たまりができて土壌が集積する道路わきは、どこも尋常でない放射能濃度のホットスポットである。年に何度かある多雨で森林の表層土壌がえぐられて道路に流れ込んでそれが集積するのである。次回に述べるように現在では表層3センチ内に放射性セシウムは濃縮して固着している。それを自然現象がかき集めてこういうホットスポットがいまでも形成されつつあるのである。浪江町ではまだ除染に手を付けられていない、こういう道沿いの溜まり場も多い。
 
  先日のNHKのBS1スペシャル『被曝の森』では、延々上方のコンクリートの道路を伝わってくる雨水が、土砂や枯れ落ち葉を流し込む田んぼでは、空間線量が毎時100マイクロシーベルトの映像が流れた。そこに生えている高濃度汚染雑草を夜間に出てきてイノシシが食べている映像も流れた。この田んぼはケモノ道にもなっているのである。もちろんわれわれもそこを定点調査地点として注目している。
      
         
(森敏)

2016-06-11 13:00 | カテゴリ:未分類

  某大学教授に返却するべき非常に貴重な資料なので、自宅にあった速達便扱いの昔の「EXPACK500」に入れて郵便局の本局から送ったら、次の日にわが自宅に返送されてきた。

 

  「平成26年3月31日をもちましてエクスパックのお取り扱いを終了しておりますので、お返しいたします。簡易局をのぞく郵便局で料金返還を行っておりますので、お早めにお越しください。」という本局の紙が添付されていた。

 

  仕方がないので本局に出かけて、窓口に行くと、中国人らしい発音の女性職員が困惑して、となりの男性職員にたらい回しした。この職員は「これは一階の24時間窓口にいってください」と迷惑そうな口ぶりでまたたらいまわしした。

 

  仕方なしに24時間窓口にいくと、若い男性職員が小生のEXPACK500を受け取って、窓口から奥に入っていったのだがなかなか出てこない。上司と相談したらしく、5分ばかりして出てきて、いきなり「この書類に書き込みください」、という。

 

郵便物等料金返還請求書兼受領証 損害賠償請求書(ゆうパック遅延および料金等役務の不取り扱い) なるA4版の書類に

住所・電話番号・印鑑・請求金額・請求理由・返還方法‥振込先の金融機関(預金口座口座名義・払い出し証書送付先)など延々書き込む欄があった。

 

  こういう官庁式の書式に書き込むのが大の苦手の小生は、一見しただけで腹が立ってきた。「じゃあ、これを破棄しあたらしいのを買います」というと、「レターパックプラス」が510円です、ということで、奥から持ってきてくれた。8%の消費税うんぬんでEXPACK500よりも10円高くなっただけなのだとか。

 

  その場で、せっかく住所氏名を書き込んだEXPACKの中身を解体して、あたらしいレターパックプラスに入れ替えて、住所氏名を全部新しく書き込んで、投函した。

   

  たった10円切手を旧来のEXPCK500に追加で貼るだけでなぜいけないのか、全く理解に苦しむ。民間会社が顧客にこんな複雑な手続きを要求すれば、悪評で倒産するだろう。郵便局は国策会社から全く抜け切れていないことを実感した。「あなたが世の中の流れに疎いだけです」と家人には馬鹿にされたが。

    
    
(森敏)

2016-06-05 06:12 | カテゴリ:未分類

兵庫県芦屋市の西を流れる芦屋川の海岸沿いの右岸には、宮川小学校と精道中学校の校区でなかったためなのか、小生には友達がいなかった。だから、小生の遊ぶ範囲ではなかった。遊ぶ範囲は芦屋川左岸(東側)から夙川(しゅくがわ)右岸(西)までの東西の2キロと、北は阪急電車の線路から南は海岸までの南北の3キロであった。

 

今回、友人から、芦屋川右岸の平田町に虚子記念文学館なるものがあるという知らせをもらったので、実に遅まきながら出かけてみた。高浜虚子の長男年尾の娘稲畑汀子の自宅隣に「虚子記念文学館」を開設しているということであった。

   

高浜虚子のことは常識的なことは知ってはいたのだが、今回この文学館のなかの展示物では彼の感性の変遷の系統的な解説がわかりやすくなされており、少し賢くなった。

  

虚子は正岡子規と並んで論じられることが多いので、どうしても子規と比べると、子規の強烈な天才的インパクトの背景に消え入りがちな人物としてしか存在を感じてこなかった。しかし、今回の展示は無知な小生のその先入観を変えるものがあった。
新しい画像

 

 

なぜか特に以下の掛け軸に書かれていた晩年(昭和31年)の俳句には感動した。

笑い話かもしれないが小生は放射能汚染されたジョロウグモの採取と分析に凝って来たので、このクモが愛くるしくて仕方がない。それで一見さりげないこの掛け軸に感動したのかもしれない。

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            蜘蛛に生まれ
 

           網を張らねば
 

           ならぬかな 
 

                虚子

            

『人生なるようにしかならないんだ。あなたも研究者としての本能に従って精一杯生きなさい』とクモが網を張る不可避の本能にかこつけて、虚子が小生にも呼び掛けているように思えたのである。実に遅まきながら。。。。

      

    

(森敏)

付記1: ガラスケースの展示物の最後に虚子が昭和29年にもらった文化勲章が、さりげなく置かれていた。当時はまだ戦後の食糧難で朝鮮事変動乱の直後である。年金がつく文化勲章は定時収入のない文人虚子にとってはありがたい生活費だっただろう、と俗物的なことを考えた。
 

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付記2:芦屋川ぞいの月若公園には、芦屋川の春を読んだホトトギスの親子三代句碑がある。以前は貧相な木製の立て看板であったらしいがいつからか六甲山から切り出したと思われるりっぱな花崗岩に筆文字が刷り込まれていた。
 

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 咲きみちてこぼるる花も無かりけり 虚子
    
 六甲の端山(はやま)に遊び春隣 年尾
   
 目に慣れし花の明るさつづきをり 汀子
     

    

ネットで検索すると、この虚子の俳句は、虚子の気力が充実した時期のもので、その昂然たる気持ちを表している、とかの解説があった。なるほど。
         

付記3:朝日新聞では夏目漱石の 『吾輩は猫である』 を復刻して連載しているが、その中でこの本のタイトルに関して意外な解説文を石崎等元立教大教授が書いている。(2016年4月18日)

       

::::高浜虚子と夏目漱石は道後温泉に浸かり俳体詩を作って楽しんで以来親交を重ねてきた仲だった。

::::タイトルは、はじめ「猫伝」が考えられたが、虚子によって冒頭の一句「吾輩は猫である」が選ばれ、若干の修訂を加えた原稿が、根岸の子規庵で行われた文紹会「山会」の席上で朗読された。::::

 

       
(森敏)