2015-02-27 08:28 | カテゴリ:未分類

little forest という映画を見てきた。

 

実はこの映画が舞台になっている「小森」という集落のOさんの奥さんから、「自分たち土地のひとたちも大勢登場しているのでぜひ見てください」という手紙をいただいたからだ。これまで奥さんご本人から手紙なんぞ一度もいただいたことが無かったので、よほどの熱意が伝わってきた。怠惰な小生は普段は映画館には足を運ぶ熱意がないのだが、今回は銀座の東劇に午前中から出かけた。朝10時から午後2時までの上映であった。
 

岩手県の「小森」という地区は実際は奥州市(かつての胆沢郡?)衣川区大森という実在の山村で、我が家はこの集落の有機農家集団から小生が大学の助手のころから30年以上にわたってずっともち米を玄米でいただいている。Oさん夫妻には小生が若い時はいろいろ冷害調査や有機農業の調査のお世話になった。ここの集落との交流が始まったのは、確か1970年代の宇井純先生の「自主講座」に京都大学出身のS君と北海道大学出身のY君が参加しており、かれらがこの大森集落の借家に家族で住み付いて有機農法をやっていたことによると記憶している(だいぶぼけてきたのでそこら辺の記憶が定かではないのだが)。当時小生は有機農業の研究をやっていたので毎年訪れていたのである。1970年代のことである。この大森の集落は大森分校の小学校の先生をしていた三好京三の小説『子育てごっこ』でも有名である。
 

 このlittle forestという映画は女優の橋本愛が主演で、春・夏・秋・冬で各7品目合計で28品目の、なかなかモダーンな料理のレシピを実演で紹介しているものである。その食材としてこの土地で採れる農産物や山菜を中心に構成されている。実際に橋本愛が農作物を栽培し、イワナを養殖し、これらを収穫し、貯蔵し、山菜などを採取して、調理して、料理して、おいしそうに食べてみせるのである。(毎回農作業をする時の作業服が長靴以外は汚れていないのには苦笑した)

 

この映画を見ながら、むかし女子栄養大学の女子学生たち5人ばかりを連れて行ってこのOさんのお宅に雑魚寝(ざこね)して宿泊したことを思い出した。女子栄養大学は、店頭から購入した食品素材の「調理実習」や「食品栄養学」の授業はきちんとやるのだが、その食品素材がどこでどのように育てられているかの教育がきちんとなされていなかったので、友人の教授から子供たちを実地検分に連れて行ってくれないか、と頼まれたのである。この女子学生たちもその後、家庭を持って食材に気を使って橋本愛ちゃんのようにおいしい料理に腕を振るってきたことだろう。職業としての管理栄養士としても定年を迎えている年頃だと思う。
 
 

映画の最後には200人以上の撮影協力者の名前が延々とつづき謝辞が述べられていた。Oさん御夫婦の名前も確認できた。画面では、しばらく会っていないので奥さんの顔は確認できなかったが、旦那さんの顔はしかと確認できた。それにしても京大と北大から入植していった彼らは今どうしているのだろう。この「一ノ関」近辺には大学の教え子も果樹園を営んでいるはずであるし。そろそろ巡礼の旅に出かけたくなった。

  

映画のフィナーレは「旧・大森分校」の「現・村の集会場」での郷土の<神楽(かぐら)の舞>であった。ひたすら集中して何者かに憑かれたように踊りまくる烏帽子(えぼし)姿の橋本愛の踊りがなかなか迫力があった。観ていてすこし目がうるうるしてきた。最近BSの特集番組で観た高倉健主演の日中合作「単騎千里を走る」のフィナーレが、関羽の仮面をかぶった中国の役者が刑務所の舞台で数本の旗を背中に立てて剣を振り回しながら乱舞する名場面を思い出した。
 
  この映画は夏・秋編と冬・春編の2部に分かれている。途中休憩が15分ある合計で4時間の長丁場だが、変わりゆく大森の四季の空・山・川・草木・ケモノの風景の変化を思い出しながらまったく飽きなかった。普通の日本の山間の農村風景ではあるのだが。

 
  500名の劇場は100名ばかりの観客で埋まっていた。徐々に口ずてに広まる評判の映画ではないだろうか。
 
  映画館のすぐ近くに岩手の物産店があった。店の人はこの映画のことを知らなかった。店内にlittle forestのポスターでも貼っていれば 「お互いにいい宣伝になるのになー」 と余計なことを考えてしまった。
  

 
(森敏)

2015-02-25 16:59 | カテゴリ:未分類

以下に引用する記事は北京大学学長の解任について、その理由についての新聞記事である。多くの全国紙と地方紙は中国共産党発表を丸飲みした共同通信の記事をベタ記事で紹介している。これに対して東京新聞のみが白石徹記者の独自取材を載せている。
 
 
 習近平は 出身大学清華大学人文社会学院マルクス主義理論と思想政治教育専攻卒業、学歴:修士、法学博士。彼は清華大学閥で北京大学閥ではない。また 20032007年浙江省委書記、省人民代表大会常務委員会主任 を務めており、浙江大学の学長人事を握っていたと考えられる。以下の記事を読むための参考まで。
 
   
それにしても政党政治家が大学学長の人事に采配を振るうなんて「なんて時代錯誤なんだろう、日本でいえば明治時代か?」と思いたい。だが、日本も国立大学学長人事がこれからどうなることやら。
     

 
 
北京大学長汚職にからみ解任か 異例の人事(共同)

 

中国共産党中央組織部は15日、北京大の王恩哥学長を任期前に解任する異例の人事を発表した。同大傘下の企業は、胡錦濤前国家主席の元側近が絡む汚職事件に関与した疑惑が浮上。解任理由は明らかにされていないが、王氏もこの企業の活動に加わっていたとされる。
 16日付の北京各紙は学長人事を写真付きの1面トップで報道。疑惑には触れていないが「春節(旧正月)を控えた休校中の突然の発表」などと異例ぶりを強調した。学長任期は4年で、王氏は3月で就任2年だった。
 問題の企業は「北京北大方正グループ」。中国メディアなどによると、北京大と同大幹部が100%出資して1986年に同大の研究成果を産業化する目的で設立。現在はデスクトップ・パソコン分野などで大きなシェアを占めている。

    
     

 

北京大の学長免職  習政権、思想統制を強化 (東京新聞 北京=白石徹)

 

中国共産党の人事を担当する中央組織部は15日、中国一の名門大学・北京大学の王恩哥学長(58)を免職し、後任に林建華氏(59)=浙江大学学長=を充てる人事を発表した。北京紙・新京報(電子版)が伝えた。習近平政権は欧米式の学問の自由や普遍的価値観を教え、マルクス主義理論の指導を重視しない大学教育に不満を強めており、王氏の突然の免職につながったとされる。第26代学長だった王氏の在任期間は2年足らずで、歴代学長では最短という。北京大の学長職は教育省の次官級で、党組織による王氏免職は全国の大学に大きな影響を与え、「思想統制」やマルクス主義教育が図られると見られる。

   習近平総書記(国家主席)は昨年5月、北京大の教授・学生との座談会で、「国家の重責を担う人材を育てる大学教育は、社会主義の核心的な価値観を重視する教育を実践するべきだ」と発言。マルクス主義教育の重要性を訴え、市場主義経済の拝金思想などを厳しく批判していた。

   ある大学教授は「習氏が総書記になって以来、各大学にマルクス主義学院(学部)が相次いで創設されている。今回の学長人事には習氏の意向に沿わない学長を交代させる意図があったのだろう」と指摘した。

   


(森敏) 


2015-02-19 15:43 | カテゴリ:未分類
150207_AutoradiographCoverJPG--.jpg 


 

(左の縦3本の線は銀色です)
 

放射線像 放射能を可視化する

東京大学名誉教授 森敏
写真家 加賀谷雅道
皓星社 刊
定価1800円(税別)

 

  
という本を上梓致しました。


来る2月25日発売予定です。
これは東電福島第一原発事故による放射性降下物で汚染した植物・動物・生活用品・神事品などをオートラジオグラフという手法で、放射能を可視化したものです。
これまで福島県・東京都・静岡県・マレーシヤなど11カ所でわれわれが巡回開催した「放射線像展」を鑑賞していただきました。
その時の参加者の感想文に、是非『放射線像』の写真集をつくってほしいという要望がありました。
この本はそれに応えたものです。
展示会場でも掲示していました文章をもとにした個々の放射線像に対する説明書き、カラー写真、また、放射性核種を使った研究生活を振り返りながら放射能に関する解説を執筆いたしました。

   
(森敏)

  

2015-02-15 09:48 | カテゴリ:未分類

    原子力規制委員会が関西電力高浜原発3、4号機の審査適合を正式決定した、と報じられている。着々と若狭湾原発銀座(敦賀、美浜、高浜、大飯と合計13基!)の再稼働へ向かって外堀が埋められつつある。

 

以前からずっと京都の友人と付き合っていて気になっているのだが、京都人はこの原発銀座の原発事故が起きた時の致命的な被害に少し感度が鈍いのではないだろうか。ところが、先日の東京新聞報道によると、京都の宗教人たちが、「原発は自然に背く」「事故あれば京都の文化壊れる」と今回原発再稼働反対をかなりの危機意識で真剣に発信し始めたらしい。

 

すでに国民的常識だが、福島の放射能汚染の経過を見ていくと、土壌・樹木・建屋からは放射能が少しずつ減衰しているが数十年間は決して自然には消えない。

 

日本人の感覚では京都経済は「観光」で持っていると思われる。イタリアのベネチアと同様世界的にそう思われているだろう。京都文化は歴史的観光資源に立脚しており、世界の観光客は日本固有の文化が京都にあると思っている。だから日本に来るとまず京都を訪れる。1200年の歴史を持つ京都文化の中核は借景の山や庭園や天皇家や公家や名僧などの由緒ある神社仏閣であろう。しかし天変地異やヒューマンエラーによる原発の <ベント> や <水素爆発> や <メルトダウン> などの異変が起こり、20キロ圏先にあるこれらの観光資源と琵琶湖がいったん放射能汚染してしまえば、その除染は至難の業であるばかりか、いったん獲得した『放射能汚染古都・京都』という「世界的な風評被害」は回復不能なダメージを京都経済に与えることになる。

 

 神社仏閣は古い建物ほどウルシなどの塗料がはがれており、建物やその他の生活用品そのものは木質や稲わらなどのセルローズやポリフェノールでできており、原発由来の放射能はなぜかセルローズやポリフェノールと親和性が非常によい。いったんこれらに固着した放射性降下物は水やその他の溶剤ではほとんど除染できない。放射能は屋根があっても空気があるところには建物の全表面細部にくまなく浸みわたるので、著名な神社仏閣の細部にわたり放射能汚染表面を削り取る必要がある。寺社の境内や名庭園や借景も土壌も、結局削り取るしか除染方法がない。

 

神社仏閣は普段は柵で建物の内部に人が入れなくても、参拝のために通常空間が開放系になっているところが多いので、建物の内部にまで放射能が侵入して、国宝級の仏像やふすま絵や欄間や畳などを簡単に汚染するだろう。神様も仏様も、ご神体そのものが永久に放射能まぶしになるかもしれない。仏像が放射能を発し続けるという事態にもなりかねない。我々は福島で神社仏閣の神事品(お賽銭、御幣、しめ縄、など)がことごとく強烈に汚染したままであることをオートラジオグラフで改めて確認している。

 

もともと文化というものは精神的なもので、宗教人は拝観料やお布施などのような、表現が悪いかもしれないが、いわば「あぶく銭」で生きている。檀家が避難し汚染や除染で品格がなくなった名所旧跡に観光客が来なくなれば、京都はたちまち経済的に路頭に迷うはずである。茶道・舞踊・生け花などに連なる京都の土着企業コンツエルンもあっという間に崩壊しかねない。土産物屋、小料理屋などの商売ももちろんあがったりになるであろう。

 

京都の伝統文化が近代の魔性である原発(皮肉なことに若狭では文殊や普賢と命名されている原発がある)をどこまで退治できるかが問われているのだが、京都人は十分な覚悟があるのだろうか。京都大学や同志社大や立命館大や多くの仏教系の大学人にも。
  
 
(森敏)
付記1:小生の育ちは兵庫県芦屋です。京都が大好きであるが故の心配事です。
付記2:福島に調査に行くたびに、「阿多多羅山」を遠望する。そして高村光太郎の詩集『知恵子抄』にある以下の詩を思い浮かべる。しかし阿多多羅山はいま放射能汚染されていることを思い、みじめな気持ちになるのです。和歌や俳句に詠われた京都の由緒ある山々がそうなってほしくないのです。


智恵子は東京に空が無いという
ほんとの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ
智恵子は遠くを見ながら言う
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという
あどけない空の話である。


2015-02-06 11:15 | カテゴリ:未分類

     
 
DSC05641--.jpg 
(図1)苔の生えた軍手

 
 
tebukuro-koke_JPG--.jpg 
(図2)図1の軍手のオートラジオグラフ。 放射能でまぶされている。
  
2014年秋に浪江町(津島地区手七郎)では工場主が避難して以来乱雑に荒らされている南面が開放系の納屋があった。その倉庫の棚に片手の軍手が放置されていた。すでに表面には親指、人差し指、中指にかけてコケが生えていた。調査当日は小雨が降っていた。よく見ると腐食した雨どいからぽとぽととしずくが漏れており、それがこの手袋に当たっていた。その水分とわずかに雨水に含まれるミネラルでこの手袋にはコケが生えていたわけである(図1)。拾ってきて研究室でガイガーカウンターで測った手袋の表面の放射能は3000cpmもあった。このコケにも放射能が濃縮されているかどうか興味があったので、オートラジオグラフを撮ってみた。

 

軍手は猛烈に感光していたが、意外にも、コケの部分は軍手の部分よりも少し薄く感光していた(図2)。2011年3月15日以降、倉庫の屋根や軍手に直接降り注いだ放射性降下物(フォールアウト)は直ちに軍手の木綿(セルローズ)に固着したのであろう(黒い無数のぽつぽつの斑点がそれである)。その後トタン屋根から降雨のたびに雨樋に流れ込んだフォールアウトの水溶性成分が徐々に腐食した樋の穴からぽつぽつと漏水して、軍手に浸みこみ、その後、年月がたって、どこかから軍手に飛んできたコケの胞子からコケが生えてきたのだろう。しかしいったん軍手に浸みこんだ放射能はコケにはあまり強くは吸収されていないようである。軍手のセシウムがかなり強くセルローズと結合しているためと思われる。

 

単純にコケと手袋の放射能の絶対値を別別に測れば放射性セシウムの手袋からコケへのいわゆる「移行係数」がわかるわけであるが、われわれに与えられている週一回のゲルマニウム半導体測定器のマシンタイムを研究用のサンプル(生物や土壌)以外に使うのは少し気が引けるので、いまだに測定していない。

 

原発事故以後3年半たっても3000cpm以上の表面放射能を示す生活用品はわれわれが調査に入れた地域の範囲ではそれほど多くない(事故当初はI-131のせいですべての物品の表面放射能濃度はべらぼーに高かったのだがそれはすぐに物理的に減衰していったので、現在は放射性セシウムしか残存していない)。しかし現在でも、まだ原発から数キロ以内の民家に入ればこれ以上の値の放射能汚染生活用品はざらにあるのではないだろうか。放射能の物理的減衰率から考えてもセシウムは原発事故当初の60%以上は残存しているはずだから。
  

   
(森敏)